このあたりの馬込文士村の文士の一人、白柳秀湖の「駅夫日記」を少し紹介しましょう。竹久夢二の挿絵をよく使っていたのでそれも少し、文中の草花とか季節の自然描写が豊かだし、当時の目黒、大崎あたりが出てきたりでとっても面白いですね。1~25まで通すと読み終わりです。
その一
私は十八歳、他人は一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂れてじっと考えながら、多摩川砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢に見る影もなく穢れたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈をかけに行ってその戻りである。
目黒の停車場は、行人坂に近い夕日が岡を横に断ち切って、大崎村に出るまで狭い長い掘割になっている。見上げるような両側の崖からは、芒と野萩が列車の窓を撫でるばかりに生い茂って、薊や、姫紫苑や、螢草や、草藤の花が目さむるばかりに咲き繚れている。
立秋とは名ばかり燬くように烈しい八月末の日は今崖の上の黒い白樫の森に落ちて、葎の葉ごしにもれて来る光が青白く、うす穢い私の制服の上に、小さい紋波を描くのである。
涼しい、生き返るような風が一としきり長峰の方から吹き颪して、汗ばんだ顔を撫でるかと思うと、どこからともなく蜩の声が金鈴の雨を聴くように聞えて来る。
私はなぜこんなにあの女のことを思うのだろう、私はあの女に惚れているのであろうか、いやいやもう決して微塵もそんなことのありようわけはない、私の見る影もないこの姿、私はこんなに自分で自分の身を羞じているではないか。
☆ 白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)1884(明治17)~1950(昭和25)
◇小説家・文芸・社会評論家・歴史家。本名は武司(タケシ)、別号
は哲羊生・曙の里人。静岡県生れ。1899(明治32)春、上京し家
僕となり郁文館中学校に通い、1903(明治36)早稲田大学予科に
入学。幸徳秋水らの影響で社会主義に近づく。1904(明治37)加
藤時次郎の直行団に加入、「直言」を編集。1905(明治38)平民社
に参加、山口孤剣・中里介山・宮田暢らと文学研究会「火鞭会」
を創立。1907(明治40)早稲田大学哲学科卒業。
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拝読いたしました。連載を楽しみにしています。
そういえば、そこはかとなく或る方の文体を想わせるような気がしないでもないような、、、。
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目黒、大崎辺りの地形に詳しい人なら景色が目に浮かぶんでしょうね。
夢二の挿絵がすごく素敵です!