夢二は、楽譜の表紙も書いていたんですね。
小説は、美青年が登場します。山の手線も蜩も日比谷へ音楽を聴きに行くということも。

夢二20

その二
品川行きの第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余りもある。日は沈んだけれども容易に暮れようとはしない、洋燈ランプは今しがたけてしまったし、しばらく用事もないので開け放した、窓にりかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。
風はピッタリやんでしまって、陰欝いんうつしつけられるような夏雲に、夕照ゆうやけの色の胸苦しい夕ぐれであった。
出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色かばいろの夏菊の咲き繚れた、崖に近いさくそばに椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪かみを油で綺麗きれいに分けた、なかなかの洒落者しゃれものである。
山の手線はまだ単線で客車の運転はホンのわずかなので、私たちの労働しごとは外から見るほど忙しくはない。それに会社は私営と来ているので、官線の駅夫らがめるような規則攻めの苦しさは、私たちにないので、どっちかといえばマアのんきというほどであった。
私はどうした機会はずみ大槻芳雄おおつきよしおという学生のことを思い浮べて、空想はとめどもなく私の胸にあふれていた。大槻というのはこの停車場ステーションから毎朝、新宿まで定期券を利用してどこやらの美術学校に通うている二十歳はたちばかりの青年である。せいはスラリとして痩型やせぎすの色の白い、張りのいい細目の男らしい、鼻の高い、私の眼からもれとするような、ねたましいほどの美男子であった。
私は毎朝この青年の立派な姿を見るたびに、何ともいわれぬうらやましさと、また身のはずかしさとを覚えて、野鼠のねずみのように物蔭ものかげにかくれるのが常であった。永い間通っているものと見えて、駅長とは特別懇意でよく駅長室へ来ては巻煙草まきたばこくすべながら、高らかに外国語のことなどを語り合うているのを聞いた。
私の眼には立派な紳士の礼服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿よりも、この青年の背広の服を着た書生姿が言い知らず心をいて堪えられない苦痛くるしみであった。私は心から思うた、功名もいらない、富貴ふうきも用はない、けれどもただ一度この脂垢のしみた駅夫の服を脱いで学校へ通うてみたい……
ああ私の盛りはこんなことをして暮らしてしまうのか。
私は今ふと昔の小学校時代のことを想い出した。薄命な母と一しょに叔父おじうちに 世話になっていたころ、私は小学校でいつでも首席を占めて、義務教育を終るまで、その地位を人に譲らなかったこと、将来はきっと偉い者になるだろうという て人知れず可愛がってくれた校長先生のこと、世話になっている叔父の息子の成績が悪いので、苦労性の母が、叔父の細君に非常に遠慮をしたことなど、それか らそれへと思いめぐらして、追懐おもいではいつしか昔の悲しい、いたましい母子おやこの生活の上にうつったのである。
ぼんやりしていた私は室の入口のところに立つ人影に驚かされた、見上げるとそれは白地の浴衣ゆかたに、黒い唐縮緬とうちりめん兵児帯へこおびを締めた、大槻であった。
「君! 汽車は今日も遅れるだろうね」
「ええ十五分ぐらい……は」と私は答えた。山の手線はまだ世間一般によく知られていないので、客車はほとんど附属つけたりのような観があった、列車の遅刻はほとんど日常いつものこととなっていた。
日はもういつしか暮れてひぐらしの声もいつの間にか消えてしまった。
大槻はちょっと舌を鳴らしたが、改札の机から椅子を引き寄せて、鷹揚おうように腰を下した、出札の河合は上衣のそでを通しながら入って来たが、横眼で悪々にくにくしそうに大槻をにらまえながら、奥へ行ってしまった。
「今からどちらへいらっしゃるのですか」私は何と思ってか大槻に問うた。
「日比谷まで……今夜、音楽があるんだ」と言い放ったが、白い華奢きゃしゃな足を動かしてを追うている。

白柳秀湖「駅夫日記」その2
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