夢二の絵は、雑誌「新少女」の口絵。
小説は、「権之助坂」の由来。虎杖(いたどり)、藤袴(ふじばかま)。

夢二24

その五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇やすみの日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖いたどりの花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的あてもなく物思いながらたどるのである。
私は権之助という侠客おとこだての物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒ビールを飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒界隈かいわいはもと芝増上寺ぞうじょうじの寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升をかすめて町奉行まちぶぎょうに告訴した、権之助のために増上寺の不法はめられたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引きまわしにされた上、この岡の上でいたましい処刑しおきにおうたということ。
ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。
私は空想の翼をせて、色の浅黒い眼の大きい、骨格のたくましい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代ときよが違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。
羞かしいではないか、私のような欝性うつしょうがまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。
いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけ れども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その 水車の響がまた無声にまさる寂しさをいざなうのであった。
人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後うしろをふりかえると、高谷千代子とその乳母うばというのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。
私は俯伏うつぶして水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私のかたを消してしもうた。
波紋のみだれたように、私の思いはき乱された。
あのひとはいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑あざわらったのではあるまいか、私のむさくるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。
波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌かおつきをもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴ふじばかまの花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。

白柳秀湖「駅夫日記」その5
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