夢二の絵は、雑誌「新少女」の口絵。
小説は、「権之助坂」の由来。虎杖(いたどり)、藤袴(ふじばかま)。
その五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇の日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖の花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的もなく物思いながらたどるのである。
私は権之助という侠客の物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒を飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒界隈はもと芝増上寺の寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升を掠めて町奉行に告訴した、権之助のために増上寺の不法は廃められたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引き廻しにされた上、この岡の上で惨ましい処刑におうたということ。
ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。
私は空想の翼を馳せて、色の浅黒い眼の大きい、骨格の逞しい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代が違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。
羞かしいではないか、私のような欝性がまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。
いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけ れども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その 水車の響がまた無声にまさる寂しさを誘うのであった。
人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後をふりかえると、高谷千代子とその乳母というのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。
私は俯伏して水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私の象を消してしもうた。
波紋のみだれたように、私の思いは掻き乱された。
あの女はいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑ったのではあるまいか、私の穢くるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。
波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌をもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴の花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。