夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。
小説は、目黒ステーション晩秋。
その八
「ちょいと、マア御覧よ、こんどはこんなことが書いてあってよ」と一人が小さい紙切を持ってベンチの隅に俯伏すとやっと、十四五歳のを頭に四五人の子守女 が低い足駄をガタつかせて、その上に重なりおうててんでに口のなかで紙切の仮名文字をおぼつかなく読んで見てはキャッキャッと笑う。
子守女とはいうものの皆近処の長屋に住んでいる労働者の娘で、学校から帰って来るとすぐ子供の守をさせられる。雨が降っても風が吹いてもこの子守女が停車場に来て乗客の噂をしていないことはただの一日でもない、華やかに着飾った女の場合はなおさらで、さも羨ましそうに打ち眺めてはヒソヒソと語りあう。
季節の変り目にこの平原によくある烈しい西風が、今日は朝から雨を誘うて、硝子窓に吹きつける。沈欝な秋の日に乗客はほんの数えるばかり、出札の河合は徒然に東向きの淡暗い電信取扱口から覗いては、例の子守女を相手に聞きぐるしい、恥かしいことを語りおうていたが、果てはさすがに口へ出しては言いかねるものと見えて、小さい紙片に片仮名ばかりで何やら怪しいことを書きつけては渡してやる。
女はそれを拾い読みに読んでは娯しんでいる。その言いしれぬ肉のおもいを含んだ笑い声が、光の薄い湿っぽい待合室に鳴り渡って人の心を滅入らすような戸外の景色に対べて何となく悲しいような、またあさましいような気がして来る。
「あれ――河合さん嫌だよ、よう! 堪忍してよう!」と賤しい婦人の媚びるような、男の心を激しく刺激するような黄いろい声がするかと思うと、ほかの連中が、ワッと手をたたいて笑う、
「もう雷様が鳴らなけりゃあ離れない、雷様が」と河合が圧しつけるような低い声で言う。
「謝ったよう! 謝った」と女は泣くように叫ぶ。一番年量の、多分高谷の姿でも真似たつもりだろう、髪を廂に結うて、間色のリボンを付けたのが、子を負ったまま、腰を屈めて、愛嬌の深い丸顔を真赤にしてしきりに謝っている。
見ると女はどうしたものか火燈口から右の手を河合に取られている。河合はその手をギュッと握って掌へ筆で何か描こうとしている。
「痛いじゃあないか、謝ったからよう! あれ――あんなものを書くよう……」
雨はまた一としきり硝子窓を撲つ、淋しい秋の雨と風との間に猥りがましい子守女の声が絶えてはまた聞えて来る。
私の机の下の菰包みの蔭では折ふし思い出したように虫の音がする。
ふと見ると便所の方に向いた窓の硝子に人影が射したので、私はツイと立って軒伝いに冷たい雨の頻吹を浴びながら裏の方に廻って見ると、青い栗の毬彙が落ち散って、そこに十二三歳の少年が頭から雫のする麦藁帽子を被ってションボリとまだ実の入らぬ生栗を喰べている。
秋もやや闌けて、目黒はもうそろそろ栗の季節である。
☆ 間色というのは、正色(黄・青・赤・白・黒)を混ぜ合わせて出来る色