夢二の絵は、童謡「凧」の装幀原画。
小説は、麻布十番 白金。

夢二29

その九
見れば根っから乞食こじきでもないようであるのに、孤児みなしごででもあるのか、何という哀れな姿だろう。
「おい、冷めたいだろう、そんなにれて、かさはないのか」
「傘なんかない、食物だってないんだもの」といまだ水々しい栗の渋皮をむくのに余念もない。
「そうか、目黒から来たのか、家はどこだい父親ちゃんはいないのか」
「父親なんかもうとうに死んでしまったい。母親おっかあだけはいたんだけれど、ついとうおれを置いてけぼりにしてどこかへ行ってしまったのさ、けどもおらアその方が気楽でいいや、だって母親がいようもんならそれこそしかられ通しなんだもの」
「母親は何をしていたんだい」
納豆なっとう売りさ、毎朝麻布あざぶの十番まで行って仕入れて来ちゃあ白金の方へ売りに行ったんだよ、けどももう家賃が払えなくなったもんだから、おればっかり置いてけぼりにしてどこかへ逃げ出してしまったのさ」
「母親一人でか?」
「小さい坊やもつれて!」
「どこに寝ているのか」
昨夜ゆうべは大鳥様へ寝た」と権之助坂の方を指さして見せる。
私はあまりのいたましさに、ポケットから白銅を取り出してくれてやると少年は無造作に受け取って「ありがとう」と言い放つとそのまま雨を衝いて長峰のおでん屋の方に駆けて行ってしまった。
見送ってぼんやりと佇んでいると足立駅長が洋服にじゃの傘をさして社宅から来かけたが、廊下に立ってじっと私の方を見ていた。雨垂れの音にまぎれて気がつかなかったが、物の気配に振り向くとそこに駅長が微笑を含んでいた。
今の白銅は私が夕飯のおかずを買うために持っていたので、考えて見ると自分の身に引き比べて何だか気羞かしくなって来た。コソコソと室に入って椅子によると同時に大崎から来た開塞の信号が湿っぽい空気に鳴り渡った。乗客のりては一人もない。

白柳秀湖「駅夫日記」その9
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