夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。
その十二
「今度複線工事のことについてちょっと用事が出来てここまでやって来たのです。プラットホームで足立さんに会って挨拶をしていると、今の一件です。
駅長さんが飛び出したもんですから、私もすぐその後へついて行った。この児が」といいかけてちょっと私の方を見て、「野郎に突き倒されるのを見ると、グッと癪に障って男の襟頸を引っ掴んで力任せに投げ出したんです、するとちょうど隧道に支えた黒煙が風の吹き廻しでパッと私たちの顔へかかったんでどうなったか一切夢中でしたけれども、眼を開いて見ると可哀そうに野郎インバネスを着たまま横倒しに砂利の上に這いつくばっている……」
「マア!」と言うて人のいい細君は眉を顰めた、私も敵ながらこの話を聞いては、あんまりいい気もしなかった。
「それから足立さんと二人で、男を駅長室に連れ込んで談して見たところが、イヤどうも分らないの何のって、工学士と言えば、一通りの教育もありながら、あんまり馬鹿げていて、話にも何にもならないです」
「悪かったとも何とも言わないのですか」
「ヤレ駅夫が客に対してあんまり無法なことをするとか、ヤレ自分は工学士で汽車には慣れているから、大丈夫飛乗りぐらいは出来るとか、まるで酔漢を相手にして話するよりも分らないのです。何しろ柔和しい足立さんも今日はよほど激していたようでした」
私は小林の談話を聴いて、言いしれぬ口惜しさを覚えた。自分の職務というよりも、私があの紳士を制止したのは紳士の生命をあやぶんでのことではないか、私は弱き者の理由がかくして無下に蹂み躙られて行くのを思うて思わず小さい拳を握った。
「柔和しい足立さんの言うことが私にはもう、まだるっこくなって来たもんですから、手厳しく談じつけてやろうとすると足立さんが待てというて制する。足立さんはそれから静かに理を分けてまるで三歳児に言い聞かすように談すと野郎もさすがに理に落ちたのか、私の権幕に怖じたのか、駅夫の負傷は気の毒だから療治代はいくらでも出すとぬかすじゃあありませんか」
私は思わず涙の頬に流れるのを禁じ得なかった、療治代は出してやる、私はつくづく人の心の悲しさを知った。さすがに人のいい細君も「マア何という人でしょう!」というてホッと吐息を漏らした。
「ところが驚くじゃあありませんか、私と足立さんとが、決して金を請求するためにこんなことを言うたのじゃあない、療治代を貰いたいために話したのじゃあないと言うと、野郎怪訝な顔をしているのです。それから何と言うかと思うと、おれは日本鉄道の曽我とは非常に懇意の間だ、何か話しがあるならば曽我に挨拶しようと言う。私はもうグッと胸が塞って来ましたから、構うことはないもうやっつけてしまえと思ったのですけれども、足立さんがしきりに止める。私も駅長の迷惑になるようではと思いかえして腕力だけはやめにして出て来たんです」
話しているところへ駅長が微笑を含んで入って来た。
「曽我祐準の名をよほどわれわれが怖がるものと思うたのか、曽我曽我と言い通して腕車で逃げ出してしもうたよ」と言いながら駅長は制服のまま、小林と並んで縁側に腰を下したが、「どうも立派な顔はしていても、話して見ると、あんな紳士が多いのだからな」と言うたが思い出したように私の方を見て、
「傷はどうだい、あんまり大したこともあるまい、今、岡田に和服を取りに行ってもらうことにした」
短かい秋の日はもう暮れかけて、停車場では電鈴がさも忙しそうに鳴り出した。