夢二の絵は、楽譜「寄宿舎の古釣瓶」。
その二十一
少からず私の心を痛めた、足立駅長の辞職問題は、かの営業所長の切なる忠告で、来年の七月まで思いとまるということになって私はホッと一息した。
物思う身に秋は早くも暮れて、櫟林に木枯しの寂しい冬は来た。昨日まで苦しい暑さを想いやった土方の仕事は、もはや霜柱の冷たさをいたむ時となった。山の手線の複線工事も大略済んで、案の通り長峰の掘割が後に残った。このごろは日増しに土方の数を加えて、短い冬の日脚を、夕方から篝火を焚いて忙しそうに工事を急いでいる。灯の影に閃く得物の光、暗にうごめく黒い人影、罵り騒ぐ濁声、十字鍬や、スクープや、ショーブルの乱れたところは、まるで戦争の後をまのあたり観るようである。
大崎村の方から工事を進めて来た土方の一隊は長峰の旧の隧道に平行して、さらに一個の隧道を穿とうとしている。ちょうどその隧道が半分ほど穿たれたころのことであった。一夜霜が雪のように置き渡して、大地はさながら鉱石を踏むように冱てた朝、例の土方がてんでに異様ないでたちをして、零点以下の空気に白い呼気を吹きながら、隧道の上のいつものところで焚火をしようと思ってやって来て見ると、土は一丈も堕ち窪んで、掘りかけた隧道は物の見事に破壊れている。
「ヤア、大変だぞ!! こりゃあ危ない!!」と叫ぶものもあれば「人殺しい、ヤア大変だ」と騒ぎ立てる者もある。
「夜でマアよかった、工事最中にこんなことがあろうものなら、それこそ死人があったんだ」
「馬鹿ア言え夜だからこんなことがあったんだ、霜柱のせいじゃあないか」
「生意気なことを言やあがる、手前見たような奴だ、こんなところで押し潰される玉は! あんまり強吐張りを言やあがると後生がないぞ」
日がさして瓦屋根の霜の溶ける時分には近処の小売屋の女房も出て来れば、例の子守女も集まって喧しい騒ぎになって来た。監督の命令で崩れた土はすぐ停車場前の広場に積み上げる、夜を日についでも隧道工事を進めよというので、土方は朝からいつにない働き振りである。
霜日和の晴れ渡ったその日は、午後から鳶色の靄が淡くこめて、風の和いだ静かな天気であった。午後四時に私は岡田と交代して改札口を出ると今朝大騒ぎのあった隧道のところにまた人が群立って何か事故ありげに騒いでいる。どうしたのだろう、また土が崩れたのではあるまいか、そうだそれに違いないと独りで決めて見物人の肩越しにのぞいて見ると、土は今朝見たまま、大かた掘り出してちょうど井戸のようになっているばかりで別に新しく崩れたという様子もない。
「どうしたんだい、誰か負傷でもしたの」と一人が聞くと、「人が出たんですとさ、人が!」と牛乳配達らしいのが眼を丸くして言う。私は事の意外に驚いたが、もしやと言う疑念が電光のように閃いたので、無理に人を分けて前へ出て見た。
疑念というのは、土の崩れた中から出た死骸が、フト私の親しんだ乞食の少年ではないだろうか、少年は土方の夜業をして捨てて行った燼にあたるために隧道の上の菰掛けの仮小屋に来ていたのを私はたびたび見たことがあったからである。見ると死骸はもう蓆に包んで顔は見えないけれども、まだうら若い少年の足がその菰の端から現われているので、私はそれがあの少年にまぎれもないことを知った。
ああ、可憐そうなことをした!
どこからともなく襲うて来た一種の恐怖が全身に痺れ渡って、私はもう再びその菰包みを見ることすら出来なかった。昨日まであんなにしていたものを、人間の運命というものは実に分らないものだ。何という薄命な奴だろう、思うに昨夜の寒さを凌ぎかねて、焚火の燼の傍に菰を被ったままうずくまっていたところを、急に崩れ落ちて、こんなあさましい最後を遂げたに相違あるまい。
少年の事情はせめて小林監督にでも話してやろう、私は顔をあげて死骸の傍に突っ立っている逞しい労働者の群を見た。薄い冬の夕日が、弱い光をそのあから顔に投げて、猛悪な形相に一種いいしれぬ恐怖と不安の色が浮んでいる。たとえば猛獣が雷鳴を怖れてその鬣の地に敷くばかり頭を垂れた時のように、「巡査が来た!」
「大将も一しょじゃあないか」「大将が来たぞ!」と土方は口々に囁く、やがて小林監督は駐在所の巡査を伴立ってやって来た。土方は言い合わせたように道をあける。
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足を挫いちゃったのは残念だったけど、ホテルはとても素敵ね! 仙台なら近いからまたお嬢さんと遊びに行ってね~。
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先日の“粋”は、出席できなくてごめんね!
次には、例の写真も楽しみにしています。