夢二の絵は、暮笛 口絵。
その二十二
「いい成仏をしろよ!」と小林の差図で工夫の一人がショーブルで土を小さい棺桶の上に落した。私はせめてもの心やりに小石を拾って穴に入れる。黙っていた一人がこんどは横合いから盛り上げてある土をザラザラと落したので棺はもう大かた埋もれた。
小坊主が、人の喉を詰まらせるような冷たい空気に咽びながら、鈴を鳴らして読経をはじめた。
小林は洋服のまま角燈を提げて立っている。
私が変死した少年のことについて小林に話すと、彼は非常に同情して、隧道の崩れたのは自分の監督が行き届かなかったからで、ほかに親類がないと言うならば、このまま村役場の手に渡すのも可憐そうだからおれが引き取って埋葬してやるというので、一切を引き受けて三田村の寂しい法華寺の墓地の隅に葬ることとなった。もっともこの寺というのは例の足立駅長の世話があったのと、納豆売りをしていた少年の母のことを寺の和尚が薄々知っていたのとで、案外早く話がついて、その夜のうちに埋葬してしまうことになったのだ。
今夜はいつになく風が止んで、墓地と畑の境にそそり立った榛の梢が煙のように、冴え渡る月を抽いて物すごい光が寒竹の藪をあやしく隈どっている。幾つとなく群立った古い石塔の暗く、また明く、人の立ったようなのを見越して、なだらかな岡が見える。その岡の上に麦酒会社の建築物が現われて、黒い輪廓があざやかに、灰色の空を区画ったところなど、何とはなしに外国の景色を見るようである。
咽ぶような、絶え入るような小坊主の読経は、細くとぎれとぎれに続いた。小林監督は項垂れて考え込んでいる。
* * *
「工事が済み次第行くつもりだ、しばらくあっちへ行って働いて見るのも面白かろう、同志はすぐにも来てくれるようにと言うのだけれど今ここを外すことは出来ない、それに正軌倶楽部の方の整理もつけて行かなけりゃあ困るのだから、早くとも来年の三月末ころにはなるだろうな」
「そうなれば私も非常に嬉しいのです。停車場の方もこのごろはつくづく嫌になりましたし、なるたけ早く願いたい方です」と私は心から嬉しく答えた。
「駅長も来年の七月までということだし、それにあっちへ行けば、同志の者は僕を非常に待っていてくれるのだから、君も今より少しはいい位置が得られるだろうと思う、かたがた君のためにはマア幸福かも知れない」
「足立さんも満足して下さるでしょう」
「あの男も実に好人物だ、郷里の小学校にいた時分からの友達で、鉄道に勤めるようになってからもう二十年にもなるだろう、もう少し覇気があったなら相当な地位も得られたろうに、今辞職しちゃ細君もさぞ困るだろう」
二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林の下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶えて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。
長崎の水谷造船所と九州鉄道の労働者間にこんどよほど強固な独立の労働組合が組織されて、突然その組織が発表されたことは二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私はその組合の幹部が皆小林監督の同志であって、春を待って私たちがその組合の事業を助けるために門司に行かねばならぬということは夢にも思わなかったが今夜小林監督にその話を聞いて、私は非常に勇み立った。
実を言うと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去るということがあるからである。私はこのごろ、馴染みの乗客に顔を見られたり、また近処の人に遇ったりすると、何だか「あやつもいつまで駅夫をしているのか」と思われるような気がして限りなき羞恥を覚えるようになって来た。その羞かしい顔をいつまでも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤を眼のあたり見るような、烈しい生存の渦中に身を投げて、心ゆくまで戦って戦って、戦い尽して見たいという悲壮な希望に満たされていたからである。
私は雨戸を締めるために窓の障子を開けた。月の光は霜に映って、まるで白銀の糸を引いたよう。裏の藪で狐が鳴いた。