夢二の絵は、春の鳥 口絵。

小説は、稲荷坂、木瓜の花と菫の花。

夢二45-1

その二十三
二十歳はたちの春は来た。
停車場ステーションもいつの間にか改築される、山の手線の複線工事も大略あらまし出来上って、一月の十五日から客車の運転は従来これまでの三倍数になった。もうこれまでのようにのんきなことも出来ない、私たちの仕事は非常に忙しくなって来た。
鉄道国有案が議会を通過して、遠からず日鉄も官営になるという噂は、駅長の辞意をいよいよ固くした。
私は仕事の忙しくなったことをむしろ歓んで迎えた。前途ゆくさき期待まちもうけのある身に取っては物思う暇のないほど嬉しいことはない、一月も二月も夢のように過ぎて、南郊の春は早く梅もうぐいすもともに老いた。
佳人の噂はとかく絶える間もない、高谷千代子は今年『窮行女学院』を卒業するとすぐ嫁に行くそうだという評判は出札の河合を中心としてこのごろ停車場の問題である。
「女というものは処女むすめの うちだけが花よ、学校にいればまた試験とか何とかいうて相応に苦労がある、マア学校を卒業して二三年親のところにいる間が女としては幸福な時だね、学校を 卒業するとすぐお嫁にやるなんて乳母も乳母だ、あんまり気が利かな過ぎるじゃあないか」生意気な河合はちょうど演説でもするようにしゃべる。
「ヒヤヒヤ、二三年目黒にいて時々停車場へ遊びに来るようだとなおいいだろう」と柳瀬という新しい駅夫が冷かすと、岡田が後へついて「柳瀬なんぞは知るまいがこれには深い原因わけがあるのだね、河合君は知っているさ、ねえ君!」
「藤岡なんぞあれで一時大いにふさぎ込んだからね」と私の方を見て冷笑する、私は思わず顔をあからめた。
姿なり、いでたちなり、婦人おんなというものはなるたけ男の眼をきつけるように装うてそれでやがて男の力によって生きようとするのだ。男の思いを惹こうとするところに罪がある。それは婦人が男によって生きねばならぬ社会の罪だ。罪は罪を生む。私たちのように汚れた、疲れた、羞かしい青年はむなしく思いを惹かせられたばかりで、そこに嫉妬が起る、そこに誹謗そしりが起る、私は世の罪を思うた。
*    *    *
三月十八日は高谷千代子の卒業日、私は非番で終日長峰の下宿に寝ているつもりであったけれども、何となく気が欝いでやるせがないので、家を出るとそのまま多摩川の二子ふたこの方に足を向けた。木瓜ぼけの花とすみれの花とが櫟林の下に咲き乱れている。そのまばらな木立越しに麦の畑が遠く続いて、菜の花の上に黒ずんだ杉の林のあらわれたところなど、景色も道も単調ではないけれど、静かな武蔵野の春にわれ知らず三里の道を行き尽して、多摩川の谷の一目に見渡される、稲荷坂いなりさかに出た。
稲荷坂というのは、もと布哇はわい公使の別荘の横手にあって、坂の中ほどに小さい稲荷のほこらがある。社頭から坂の両側に続いて桜が今を盛りと咲き乱れている。たまさかの休暇を私は春の錦という都にそむいて思わぬところで花を見た。祠の縁に腰をかけて、私はここで「通俗巴里一揆物語」の読みかけを出して見たが、何となく気が散って一ページも読むことが出来なかった。私は静かに坂を下りて、岸に沿うた蛇籠じゃかごの上に腰かけて静かに佳人の運命を想い、水の流れをながめた。
この一個月ばかり千代子はなぜあんなに欝いでいるだろう、汽車を待つ間の椅子ベンチにも項垂うなだれて深き想いに沈んでいる。千代子の苦悩は年ごろの処女が嫁入り前に悲しむという、その深き憂愁うれいであろうか。
群を離れた河千鳥がみぎわに近く降り立った。その鳴き渡る声が、春深いかすみに迷うて真昼の寂しさが身に沁みるようである。

白柳秀湖「駅夫日記」その23
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