12月23日(木)
今年の伊勢神宮参拝者は、860万人とすごい人が押し寄せているらしい。
最近のパワースポット巡りの影響でしょうか。
60年周期の寅年にこの現象が起きているという。
今年寅年の2010年、1950年、1890年、1830年、1770年、1710年と下って、
1710年(宝永7年)4月に、京都に住む裕福な家の3歳の女の子が、乳母に〝伊勢参宮がしたい〟と言うので、
〝言葉が喋れるはずがないでしょ!〟という両親の反対にもかかわらず、乳母はふらふらと女の子をお伊勢さんに連れ出した。
粟田あたりで連れ戻されたのですが、3歳の女の子は、病にかかり死んでしまう。
4月初め乳母は暇を出されたのですが、4月半ば頃にふらりと帰って来て、腕には死んだはずの娘を抱えていた。
これは、間もなく洛中洛外の大評判となり、近畿をあげての大騒動となった。
〝伊勢へ!〟〝伊勢へ!〟と、
6、7歳から14,5歳までのいたいけない童男童女の列が京都から大津の船場まで続いた。
1710年(宝永7年)一年間で総人員375万9000人が伊勢に向かったらしい。
これを「抜け参り」とか「おかげ参り」という。
第二目のおかげ参り(抜け参り)は、1770年でなく1771年(明和8年)で、牛も馬も犬も猫も〝伊勢へ!〟〝伊勢へ!〟
1771年(明和8年)一年間で総人員441万9000人が伊勢に向かった。
このような「抜け参り」の不思議な行列を京都の所司代も道筋の代官も手の下しようがなかったのは、
相手が6,7歳から14,5歳の未成年者だったので、罪に問えなかった。
子供たちは、保護者の知らない間に抜け出してしまっていた。
さらに注意すべきことは、その旅費が、初回から京都をはじめ沿道の金持ちによって貢がれたということ。
世の中に大きな変化が起きるとき、どんな智者、どんな賢人よりも先にそれを予感するものは一般民衆である。
一般民衆という中にも、街頭に洟を垂らしている子供が最も敏感なものらしい。
この文章は白柳秀湖の「維新 革命前夜物語」の中に書いてある本当のお話。
とっても面白いので、これからカテゴリーの中に〝歴史で遊ぼ〟を設け少しづつアットランダムに紹介していきます。
そして今年2010年寅年は、恐慌前夜ということで、大変な年でしたね!