「駅夫日記」が15まで来ました。
中休みとして、目黒駅~行人坂~雅叙園~権之助坂~大鳥神社~目黒不動まで写真でたどってみます。
目黒駅~行人坂~大圓寺~雅叙園
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明和9年(1772)2月29日行人坂大圓寺から上がった火の手は、強風に煽られ3日3晩にわたる大火事になり、
江戸930余町(江戸の町の1/3)を焼き尽くした。 亡くなった人14700余名を供養するために作られた
五百羅漢の仏像群は、それぞれの表情に特徴があります。この年幕府は、「めいわくの年」だとして年号を
「安永」に変えました。
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大圓寺には、八百屋お七にまつわる話もあって、天和2年(1682)の火事の際自宅を焼かれた八百屋の
お七は、駒込の円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したと言う。恋こがれたお七は、
吉三に会いたい一心で翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引き回しの上、鈴が森の処刑場
火刑にされた。
その後、吉三は、僧となり名を「西運」と改め諸国を行脚、後に大圓寺の下の明王院(現雅叙園)に入って
お七の菩提を弔うため往復十里の道のりを浅草観音まで一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げた。
また「西運」は、江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基に行人坂に敷石の道をつくり、目黒川に石の
太鼓橋を架けた。
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                      これが雅叙園(元 明王院)
太鼓橋~権之助坂~大鳥神社
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            石の太鼓橋                    権之助坂の橋から見た目黒川
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この大鳥神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征に縁があるこの地に大同元年(806)に創建された区内最古の神社です。
江戸地図として古いものとされる「長禄江戸地図」に書かれている古江戸9社の1つで、
目黒村の総鎮守でもありました。毎年11月に開かれる酉の市が有名。
~目黒不動
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大鳥神社を過ぎて、寄生虫館を左に折れると閑静な住宅街が続き、突き当たったところが目黒不動の裏手になる。
目黒不動は、毎月28日が縁日で車は通行止めとなっており、いつも門前の「にしむら」で鰻を買っている我が家としては、
表から見る目黒不動と裏からみる目黒不動とは、全く違う。

「駅夫日記」をたどって
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One thought on “「駅夫日記」をたどって

  • 2008年5月8日 at 12:27 午後
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    目黒駅から目黒不動そして東急不動前駅は昔なつかしい界隈ですね。ところで、目黒駅から都立大学までの目黒通りは知る人ぞ知る家具屋さんが多い通りです。外国・国産注文家具・アンティーク・レトロな小物など・・ゆっくり散歩するのもおもしろいですよ。

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