夢二の絵は、雑誌「新少女」さし絵。
小説は、恋について・・・。
その十七
その年も暮れて私は十九歳の春を迎えた。
停車場ではこのごろ鉄の火鉢に火を山のようにおこして、硝子窓 を閉めきった狭い部屋の中で、駅長の影さえ見えなければ椅子を集めて高谷千代子と大槻芳雄の恋物語をする、駅長と大槻とは知己なので駅長のいる時はさすが に一同遠慮しているけれども、助役の当番の時なんぞは、ほとんど終日その噂で持ちきるようなありさまである。おれはかしこの森で二人の姿を見たというもの があれば、おれはここの野道で二人が手を取って歩いているのを見たという者がある。それから話の花が咲いて、あることないこと、果ては聴くに忍びないよう な猥りがましい噂に落ちて、ドッと笑う。
最もこれは停車場ばかりの噂ではなかった、長峰の下宿の女房も、権之助坂の団子屋の老婆も、私は至るところで千代子の恋の噂を耳にした、千代子は絶世の美人というのではないけれども、大理石のように緻やかな肌、愛嬌の滴るような口もと、小鹿が母を慕うような優しい瞳は少くとも万人の眼を惹いて随分評判の高かっただけに世間の嫉妬もまた恐ろしい。
嫉妬! 私は世間の嫉妬の恐ろしさを今初めて知った。憐れなる乙女は切なる初恋の盃に口つけする間もなく、身はいつの間にかこの恐ろしい毒焔の渦まきに包まれて、身動きも出来ない?謗の糸は幾重にもそのいたいけな手足を縛めていたのである。「どうして大槻という奴は有名な男地獄で、もう横浜にいた時分から婆芸妓なんかに可愛がられたことがあって大変な玉なんだ」と誰やらがこんなことをいうた。
「女だってそうよ、虫も殺さないような顔はしていても、根が越後女だからな」私はこんな?誣の声を聞くたびに言うに言われぬ辛い思いをした。私の同情は無論純粋の清い美しい同情ではなかった。二人の運命を想いやる時には、いつでも羞かしい我の影がつき纏うて、他人の幸福を呪うようなあさましい根性も萌すのであった。
実際千代子の大槻に対する恋は優しい、はげしい、またいじらしい初恋のまじりなき真情であった。万事に甘い乳母を相手の生活は千代子に自由の時を与えたので、二人夕ぐれの逍遙など、深き悲痛を包んだ私にとってはこの上なく恨めしいことであった。
貧しき者は、忘れても人を恋するものでない。
恋――というもおこがましいが、私にとっては切なる恋、その恋のやぶれから、言いしれぬ深い悲哀がある上に、私は思いがけない同輩の憎悪を負わなければならない身となった。それは去年の秋の蘆工学士の事件から私は足立駅長に少からぬ信用を得て、時々夜など社宅に呼ばれることがある、ほかの同輩はそれを非常に嫌に思うている。
私は性来の無口、それに人との交際が下手で一たび隔った心は、いつ調和がつくということもなく日に疎ましくなって行く、磯助役を始め同輩の者はこのごろろくろく口を聞くこともまれである。私はこんなに同輩から疎まれるとともに親しい一人の友が出来た、それはかの飄浪の少年であった。
このごろの寒空に吹きさらされてさすがに堪えかねるのであろう。日あたりのいい停車場の廊下に来て、うずくまっては例の子守女にからかわれている、雪の降る日、氷雪の日、少年は人力車夫の待合に行って焚火にあたることを許される。
少年は三日におかず来る、私は暇さえあればこの小さい飄浪者を相手にいろいろの話をして、辛くあたる同輩の刃のような口を避けた。私はいつか千代子と行き会ったかの橋の欄干に倚って、冬枯れの曠野にションボリと孤独の寂寥を心ゆくまでに味わうことも幾たびかであった。