・・・おお、私はいつの間にか桐ヶ谷の火葬場の裏に立っていたのだ。森の梢には巨人が帽を脱いで首を出したように赤煉瓦の煙筒が見えて、ほそほそと一たび高く静かな空に立ち上った煙は、また横にたなびいて傾く月の光に葡萄鼠の色をした空を蛇窪村の方に横切っている・・・。
ー白柳秀湖「駅夫日記」その16よりー
蛇窪村なんて初めて聞いた。
トット文化館(黒柳徹子さんの基金による)の向かいにあるので分かりやすい。
道標は「ヘビクボ道」とある。その左が「キリガヤ道」右が「オホヰ道」反対側が「オオサキテイシャバ道」となっている。
さらに☆印の上神明の天祖神社にはこんなものが
荏原七福神の弁天様が祀られている「上神明天祖神社」に鎌倉時代、清水の湧き出す洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。しかし時代の移り変わ りとともに清水は途絶え、洗い場はなくなってしまいました。仕方なく白蛇は今の戸越公園の池に移り住んだのですが、やはりもといた場所が恋しくてなりませ ん。そこで旧家・森谷友吉の夢枕に立ち、元の場所に返して欲しいとお願いしました。森谷氏はこの話を天祖神社の宮司に伝え、弁天社を作って白蛇を再び迎え ることになりました。白蛇を迎えた夜、それまで星のまたたいていた空が一転にわかに掻き曇り、雷鳴とともに風が吹きすさんだといいます。
今ではその弁天社は場所を移してしまったそうですが、やはり地元の人たちの手によって残されています。天祖神社の裏側に隠れた弁天社はきっと、はじめて見 た人をビックリさせるに違いありません。なんと4匹の白蛇が屋根や柱にからまり、すぐそばの鳥居からは氣志團を思わせるリーゼント頭の龍神が顔をのぞかせ ています。
どうやら石碑に刻まれた文字からすると、昭和50年に真鍋勝さんという方が造って奉納したものなのだそうです。
これで、八つ墓村じゃなくて蛇窪村はたしかにあったことが判りました。