夢二の絵は、春潮 楽譜。
その二十四
四月一日私はいよいよ小林浩平に伴われて門司へ立つのだ。三月十五日限り私は停車場をやめて、いろいろ旅の仕度に忙わしい。たとえば浮世絵の巻物を披げて見たように淡暗い硝子の窓に毎日毎日映って来た社会のあらゆる階級のさまざまな人たち、別離と思えば恋も怨みも皆夢で、残るのはただなつかしい想念ばかりである。森も岡も牧場も水車小屋も、辛い追懐の種ばかり、見るに苦しい景色ではあるけれど、これも別離と言えばまた新しい執着を覚える。
旅の支度も大かた済んだ。別離の心やみがたく私は三月二十八日の午後、権之助坂を下りてそれとはなしに大鳥神社の側の千代子の家の垣に沿うて、橋和屋という料理屋の傍から大崎の田圃に出た。
蓮華、鷺草、きんぽうげ、鍬形草、暮春の花はちょうど絵具箱を投げ出したように、曲りくねった野路を飾って、久しい紀念の夕日が岡は、遠く出島のように、メリヤス会社のところに尽きている。目黒川はその崎を繞って品川に落ちる、その水の淀んだところを亀の子島という。
大崎停車場は軌道の枕木を黒く焼いて拵えた粗っぽい柵で囲まれている。その柵の根には目覚むるような苜蓿の葉が青々と茂って、白い花が浮刻のように咲いている。私はいつかこの苜蓿の上に横たわって沈欝な灰色の空を見た。品川発電所の煤煙が黒蛇のように渦まきながら、亀の子島の松をかすめて遠い空に消えて行く、私はその煙の末をつくづくと眺めやって、私の来し方のさながら煙のようなことを思うた。
遠くけたたましい車輪の音がするので振り返って見ると、目黒の方から幌をかけた人力車が十台ばかり、勢いよく駆けて来る。雨雲の低く垂れた野中の道に白い砂塵が舞い揚って、青い麦の畑の上に消える。車は見る見る近づいて、やがて私の寝ている苜蓿の原の踏切を越えた。何の気もなく見ると、中央の華奢な車に盛装した高谷千代子がいる。地が雪のようなのに、化装を凝らしたので顔の輪廓が分らない、ちょいと私の方を見たと思うとすぐ顔をそむけてしもうた。
佳人の嫁婚!
油のような春雨がしとしとと降り出した。ちょうど一行の車が御殿山の森にかくれたころのことである。
翌日私の下宿に配達して行った新聞の「花嫁花婿」という欄に、工学士蘆鉦次郎の写真と、高谷千代子の写真とが掲載されて、六号活字の説明にこんなことが書いてあった。
蘆鉦次郎――高谷千代子――水谷造船所――四月一日、私はしばらく新聞を見つめたまま身動きも出来なかったが、私の身辺に何か目に見えない恐ろしい運命 の糸が纏いついているような気がして、われ知らず手を伸べて頭の髪を物狂わしきまでに掻きむしると、その手で新聞をビリビリと引き裂いてしまった。