11月7日(月)

柴田南雄さんの生誕100年・没後20年記念演奏会が、サントリーホールでありました。
方丈記を書いた「鴨長明」(1155−1216)も今年で没後800年、時代は800年で変わる・・・そろそろ時代は変わる!

柴田南雄/ディアフォニア No.62 (1979)
柴田南雄/追分節考 No.41 (1973)
~休憩~
柴田南雄/交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」 No.48 (1975)
日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター/扇谷泰朋
ソロ・チェロ/辻本玲
指揮/山田和樹
合唱/東京混声合唱団/武蔵野音楽大学合唱団
合唱指揮/山田茂、栗山文昭、片山みゆき
尺八/関一郎
舞台監督/深町達

 

柴田南雄さんは、作曲家、演奏家、教育者、批評家として多才で、この演奏会もたくさんの著名人が来ていて満席となりました。

ディアフォニアは、京都交響楽団が委嘱した「京都をイメージした作品」の7作目。

追分節考は、全国から集めた追分節を指揮者が合唱団に指示を出し(文字の書かれた団扇を出し)歌いだす。 サントリーホール全体に合唱団が配置され動きながら尺八の演奏も加わり追分節が鳴り響く。

最後の交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」は、昭和50年という節目に「昭和」をテーマとした交響曲を委嘱されて、昭和の半世紀の変遷は、音楽様式の変遷で表現しようとした。
楽章ごとにバロック、古典、ロマン派の音楽、前衛音楽のスタイルを配置して「昭和」を表す。
さらに合唱をつけ、合唱の歌詞には鴨長明の『方丈記』の中から主要な部分を選び出して用いた。
『方丈記』に描かれている都の様相「大火、台風、食糧不足、疫病、大地震、政治不安、(突然の遷都)」が現代の東日本大震災、原発による放射能汚染、熊本・大分大地震、アメリカの政権交代など経験したばかりのこと。やはり合唱団が、サントリーホール全体に、客席にも配置され動き出して、宇宙的なマルチチャンネルとなりました。
本当! 聴いてみなければわからない! 行ってよかった! 体験でした。
下に鴨長明が暮らした方丈(下賀茂神社内)の写真があります。柴田南雄さんは、この曲を書くにあたって、鴨長明が住んでいた下賀茂神社あたりに部屋を借りて構想を練ったとか。

鴨長明が住んでいた下賀茂神社

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河合神社の中に鴨長明の住んでいた方丈がある

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鴨長明 方丈記  (一)

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍(いらか)を爭へる、高き、いやしき、人の住(すま)ひは、世々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或(あるい)は去年(こぞ)燒けて今年作れり。或は大家(おほいへ)亡びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変(かは)らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生(うま)るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。不知(しらず)、生(うま)れ死ぬる人、何方(いづかた)より來たりて、何方へか去る。また不知(しらず)、假(かり)の宿り、誰(た)が為にか心を惱まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を爭ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕(ゆふべ)を待つ事なし。

柴田南雄 方丈記~ゆく河の流れは絶えずして~
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