5月30日(金) 今日は、晴海の第一生命ホールで、ボロメーオ・ストリング・クアルテットの演奏会があるので、翠江堂にいちご大福を4個予約注文する。 夜7:00頃、いちご大福を受け取ってホール内に入る。 曲目 ハイドン/弦楽
METライブビューイング@めぐろパーシモンホール
METライブビューイング アンコール上映が、めぐろパーシモンホールで上映されている。 5月26日(月)は、プッチーニ『マノン・レスコー』 5月29日(木)は、同じくプッチーニ『ラ・ボエーム』を観て来ました。 両方とも
仙台へ!
5月21日(水) 仙台へ行くことになりました。 台風も過ぎて旅行にピッタリのお天気です。 まずは、東京から行くと仙台の少し手前の白石から。 白石は伊達政宗の信頼する家臣の片倉小十郎が大改修をした白石城があって、とっても静
白柳秀湖「駅夫日記」その21
夢二の絵は、楽譜「寄宿舎の古釣瓶」。 その二十一 少からず私の心を痛めた、足立駅長の辞職問題は、かの営業所長の切なる忠告で、来年の七月まで思いとまるということになって私はホッと一息した。 物思う身に秋は早くも暮れて、櫟林
白柳秀湖「駅夫日記」その20
夢二の絵は、楽譜「陽気な鍛冶屋」 表紙。 その二十 「今日の社会は大かた今僕が話したような状態(ありさま)で、ちょうどまた新しい昔の大名(だいみょう)が出来たようなものだ。昔の大名は領土を持っていて、百姓から自分勝手に取
白柳秀湖「駅夫日記」その19
夢二の絵は、ホームソング 表紙。 小説は、山の手線複線工事、恵比須麦酒。 その十九 その春のくれ、夏の初めから山の手線の複線工事が開始せられた。目黒停車場(ステーション)の掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であった。小
蛇窪村って?
・・・おお、私はいつの間にか桐ヶ谷の火葬場の裏に立っていたのだ。森の梢(こずえ)には巨人が帽を脱いで首を出したように赤煉瓦(あかれんが)の煙筒が見えて、ほそほそと一たび高く静かな空に立ち上った煙は、また横にたなびいて傾く
白柳秀湖「駅夫日記」その18
夢二の絵は、歌劇「カルメン」ハバネラの歌表紙。 その十八 寂しい冬の日は暮れて、やわらかな春の光がまた武蔵野にめぐって来た。 ちょうど三月の末、麦酒(ビール)会社の岡につづいた桜の莟(つぼみ)が綻(ほころ)びそめたころ、
白柳秀湖「駅夫日記」その17
夢二の絵は、雑誌「新少女」さし絵。 小説は、恋について・・・。 その十七 その年も暮れて私は十九歳の春を迎えた。 停車場(ステーション)ではこのごろ鉄の火鉢に火を山のようにおこして、硝子(がらす)窓 を閉めきった狭い部屋
白柳秀湖「駅夫日記」その16
夢二の絵は、画集「旅の巻」カバー。 小説は、目黒不動、桐ヶ谷の火葬場、碑文谷、蛇窪村、葡萄鼠色、五位鷺。 その十六 社宅を辞して戸外(そと)に出ると夜は更(ふ)けて月の光は真昼のようである。私は長峰の下宿に帰らず、そのま
「駅夫日記」をたどって
「駅夫日記」が15まで来ました。 中休みとして、目黒駅~行人坂~雅叙園~権之助坂~大鳥神社~目黒不動まで写真でたどってみます。 目黒駅~行人坂~大圓寺~雅叙園 明和9年(1772)2月29日行人坂大圓寺から
白柳秀湖「駅夫日記」その15
夢二の絵は、雑誌「若草」。 その十五 その夜駅長は茶を啜(すす)りながら、この間プラットホームで蘆(ろ)工学士を突き倒した小林浩平の身の上話をしてくれた、私がただ学問とか栄誉とかいうはかないうつし世の虚栄を慕うて、現実の