夢二の絵は、画集「旅の巻」カバー。 小説は、目黒不動、桐ヶ谷の火葬場、碑文谷、蛇窪村、葡萄鼠色、五位鷺。 その十六 社宅を辞して戸外(そと)に出ると夜は更(ふ)けて月の光は真昼のようである。私は長峰の下宿に帰らず、そのま
「駅夫日記」をたどって
「駅夫日記」が15まで来ました。 中休みとして、目黒駅~行人坂~雅叙園~権之助坂~大鳥神社~目黒不動まで写真でたどってみます。 目黒駅~行人坂~大圓寺~雅叙園 明和9年(1772)2月29日行人坂大圓寺から
白柳秀湖「駅夫日記」その15
夢二の絵は、雑誌「若草」。 その十五 その夜駅長は茶を啜(すす)りながら、この間プラットホームで蘆(ろ)工学士を突き倒した小林浩平の身の上話をしてくれた、私がただ学問とか栄誉とかいうはかないうつし世の虚栄を慕うて、現実の
白柳秀湖「駅夫日記」その14
夢二の絵は、「鴨川情話」表紙。 小説は、私(藤岡)の身の上話。 その十四 私の傷はもう大かた癒(い)えた、次の月曜日あたりから出勤しようと思うて、午後駅長の宅(うち)を訪ねて見た。細君が独りで板塀の外で張り物をしていたが
白柳秀湖「駅夫日記」その13
夢二は、「婦人グラフ」表紙。 小説は、唐人髷、銘仙の着物、浅黄色の帯、欝金色の薔薇釵(ばらかざし)の高谷千代子。 粋な鳥打帽子、紬の飛白(かすり)、唐縮緬の兵児帯(へこおび)の大槻芳雄。 その十三 栗の林に秋の日のかすか
白柳秀湖「駅夫日記」その12
夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。 その十二 「今度複線工事のことについてちょっと用事が出来てここまでやって来たのです。プラットホームで足立さんに会って挨拶をしていると、今の一件です。 駅長さんが飛び出したもんですから、私
白柳秀湖「駅夫日記」その11
夢二の絵は、「暮笛」表紙。 小説は、法師蝉、コスモス。 その十一 私はそのまま駅長の社宅に連れて行かれて、南向きの縁側に腰を下すと、駅長の細君が忙わしく立ち働いていろいろ親切に手を尽してくれる。 そこへ罷職軍医の大槻延貴
白柳秀湖「駅夫日記」その10
夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。 小説は、エビスビール、百舌鳥(もず)、櫨(はぜ)。 その十 雨がやむと快晴が来た。 シットリと濡れた尾花が、花やかな朝日に照りそうて、冷めたい秋風が一種言いしれぬ季節の香を送って来る。崖
白柳秀湖「駅夫日記」その9
夢二の絵は、童謡「凧」の装幀原画。 小説は、麻布十番 白金。 その九 見れば根っから乞食(こじき)の児(こ)でもないようであるのに、孤児(みなしご)ででもあるのか、何という哀れな姿だろう。 「おい、冷めたいだろう、そんな
白柳秀湖「駅夫日記」その8
夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。 小説は、目黒ステーション晩秋。 その八 「ちょいと、マア御覧よ、こんどはこんなことが書いてあってよ」と一人が小さい紙切を持ってベンチの隅に俯伏すとやっと、十四五歳のを頭に四五人の子守女
白柳秀湖「駅夫日記」その7
夢二の絵は、「ねむの木」口絵 その七 次の日の朝、私は改札口で思わず千代子と顔を合わせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の思いの浮んだことを見た、私は千代子のような美人が、なぜ私のような見すぼらしい駅夫風情(ふぜい)に
白柳秀湖「駅夫日記」その6
夢二の絵は、「ねむの木」口絵。 小説は、千代子の生い立ち、大鳥神社。 その六 岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡って突き当りに小学校がある、その学校の裏ということである。それを尋ねて見ようというのではないけれども、私はい