白柳秀湖「駅夫日記」その14

夢二の絵は、「鴨川情話」表紙。
小説は、私(藤岡)の身の上話。

夢二34

その十四
私の傷はもう大かたえた、次の月曜日あたりから出勤しようと思うて、午後駅長のうちを訪ねて見た。細君が独りで板塀の外で張り物をしていたが、私が会釈えしゃくするのを見て、
「今日は留守ですよ、非番でしたけれども本社の方から用があるというて来ましたので朝出かけたままですよ」
「どんな御用でしょう、この間の事件ことではないでしょうか」
「サア、宅の人もそう言うていましたがね、ちっとも心配することはないと言うて出て行きましたよ」とさりげなく言うたけれども、私は細君の眉のあたり何となく晴れやらぬ憂いの雲を見た。
私はこのいい細君がたすきをあやどって甲斐甲斐かいがいしく立ち働きながらも、夫の首尾を気づこうて、憂いを胸にかくしている姿を見て、しみじみと奉職つとめの身の悲しさを覚えて、私のし過しから足立駅長のような善人が、不慮の災難をることかと思うと、身も世もあられぬような想いがした。
「心配なことはないでしょうか」
「大丈夫でしょう」と言うたが、顔を上げて、
「もういのですか」
「ええ明後日あたりから出勤することにしたいと思いまして……」
*    *    *
その夜の月はいと明るかった。
駅長は夕方帰って来たが、きょうは好きな謡曲もやらないで、私の訪ねるのを待っていろいろその日の首尾を話してくれた。
要するに、私の心配したほどでもなかったが、駅長は言うべからざる不快を含んで帰って来たらしい。
この間の工学士というのは品川に住んでいた東京市街鉄道会社の技師を勤めている蘆鉦次郎ろしょうじろうという男で、三十二年の卒業生であるそうだ、宮内省に勤めた父親の関係から、社長の曽我とも知己しりあいなかでこの間の失敗しくじりを根に持ってよほど卑怯な申立てをしたものと見えて、始めは大分事が大げさであったのを、幸いに足立駅長が非常に人望家であったために、営業所長が力を尽して調停とりなしてくれてやっと無事に済んだということであった。
そういう首尾では駅長が不快に思うのも無理はない、私は非常に気の毒に思うて、私が悪いのだから、私が職をめたならば、上役の首尾も直るでしょうと言えば、駅長はすぐ打ち消して、かえって私を慰めた上に、いろいろ行末のことも親切に話してくれた。
私は駅長の問うにまかせて、私の身の上話をした。月影のさす秋の夜に心ある夫婦の前で寂しい来しかたの物語をするのは私にとって、こよなき歓楽よろこびであった。
私の父は静岡の者で、母はもと彦根の町のさる町家の娘で、まだ禿かむろの時分から井伊の城中に仕えてかの桜田事件の時にはやっと十八歳の春であったということ、それから時世が変って、廃藩置県の行われたころには井伊の老臣の池田某なるものに従うて、遠州浜松へ来た。
池田某が浜松の県令に撰抜されたからで、母は桜田の騒動以来、この池田某に養われていたのであった。
母はここで縁があって父と結婚して、長い御殿奉公を止めて父と静岡にかなりの店を開いて、幸福に暮していた。母の幸福な生活というのは実にこの十年ばか りの夢に過ぎなかったので、私は想うて母の身の上に及ぶと、世に婦人の薄命というけれど、私の母ばかり不幸な人は多くあるまいと思わぬ時はないのである。
父が死んでから、私たち母子おやこは叔父の家に寄寓して言うに言われぬ苦労をしたが、私は小学校を出て叔父の仕事の手伝いをしている間も深く自分の無学をじて、他人ならば学校盛りの年ごろを、いたずらに羞かしい労働にうもれて行くことを悲しんだ。私がだんだん年ごろとなるに連れて叔父との調和おりあいがむずかしく若い心の物狂わしきまでひたすらに、苦学――成功というような夢に憧れて、母の膝に嘆き伏した時は、苦労性の気の弱い母もついに私の願望ねがいを容れて、下谷の清水町にわびしく住んでいる遠縁の伯母をたよりに上京することを許してくれた。
去年の春下谷の伯母を訪ねて、その寡婦やもめ暮しの聞きしにまさる貧しさに驚かされた私は、三崎町の「苦学社」の募集広告を見て、天使の救いにおうたように、雀躍こおどりして喜んだ。私は功名の夢を夢みて「苦学社」に入った。
母の涙の紀念かたみとして肌身はだみ離さず持っていたわずかの金を惜しげもなくげ出して入社した三崎町の苦学社を逃げ出して再び下谷の伯母の家に駆け込んだ時は、自分ながら生命のあったのを怪しんだほどである。私は初めて人間の生血をる、恐ろしい野獣けものの所為をまのあたり見た。
坂本町に住む伯母の知己しりあいの世話で私が目黒の駅に務めることになったのは、去年の夏の暮であった。私はもう食を得ることよりほかにさしあたりの目的あてはない。功名も、富貴も、それは皆若い私の夢であった、私はもうちりのような、煙のような未来ゆくすえの空想を捨てて、辛い、苦しい生存ながらえみちをたどらなければならないのだ。私の前には餓死がしと労働の二つの途があって私はただ常暗とこやみの国に行くために、その途の一つをたどらなければならないのだ。
駅長も細君も少からぬ同情をもって私の話を聞いてくれた。やや寒い秋の夜風が身にしみて坪の内には虫の声が雨のようである。

白柳秀湖「駅夫日記」その13

夢二は、「婦人グラフ」表紙。
小説は、唐人髷、銘仙の着物、浅黄色の帯、欝金色の薔薇釵(ばらかざし)の高谷千代子。
粋な鳥打帽子、紬の飛白(かすり)、唐縮緬の兵児帯(へこおび)の大槻芳雄。

夢二33

その十三
栗の林に秋の日のかすかな大槻医師の玄関に私はひとり物思いながら柱にって、薬の出来るのを待っている。
「もういいのよ……」どこかで聞き覚えのある、優しい処女おとめの声が、患者控室に当てた玄関をへだてて薬局に相対むきあった部屋の中から漏れて来たが、廊下を歩く気配がして、しばらくすると、中庭の木戸が開いた。
高谷千代子の美しい姿がそこへ現われた。いつにない髪を唐人髷とうじんまげに結うて、銘仙の着物に、浅黄色の繻子しゅすの帯の野暮やぼなのもこの人なればこそよく似合う。小柄な体躯からだをたおやかに、ちょっと欝金色うこんいろ薔薇釵ばらかざしを気にしながら振り向いて見る。そこへ大槻がいきな鳥打帽子に、つむぎ飛白かすり唐縮緬とうちりめん兵児帯へこおび背後うしろで結んで、細身のステッキ小脇こわきはさんだまま小走りに出て来たが、木戸の掛金をすと二人肩を並べて、手を取るばかりに、門の方に出て行くのである。
千代子は小さい薬瓶を手巾ハンケチに包んでそれに大槻の描いた水彩画であろう半紙を巻いたものをげている。私はハッとしたが隠れるように項垂うなだれて、繃帯のした額に片手を当てたが、さすがにまた門の方を見返した。
私が見返した時に、二人はちょうど今門を出るところであったが、一斉いっせいに玄関の方を振り向いたので、私とパッタリ視線が会うた。私は限りなき羞かしさに、俯向いたまま薬局の壁に身を寄せた。
きのうまで相知らなかった二人がどうして、あんな近附きになったのであろう、千代子が大槻を訪ねたのか、イヤイヤそんなことはあるまい、私は信じなかったが世間の噂では大槻は非常に多情な男で、これまでにもう幾たびも処女をもてあそんだことがあるという、そう言えばこの間も停車場ステーションでわざわざ千代子のドアーを開けてやったところなど恥かしげもなく、あつかましいのを見れば大槻が千代子を誘惑したに相違ない。それにしても何と言うて言い寄ったろうか。
千代子が大槻のところへどこか診察してもらいに行って、この玄関に待ち合わしているところへ大槻が奥から出て来て物を言いかけたに違いない、「マアこっ ちへ来て画でも見ていらっしゃい」などと言う、大槻はいい男だし、それにあの才気で口を切られた日には、千代子でなくとも迷わない者はあるまい。
佳人と才子の恋というのはこれであろう、大槻が千代子を恋うるのが無理か、千代子が大槻を慕うのが無理か、たとえば絵そらごとに見るような二人の姿を引 きくらべて見て私はさらに、「私が千代子を恋するのは無理ではないだろうか」と、われとわが心に尋ねて見たが、今まで私の思うたことのいつか恐ろしい嫉妬ねたみ邪道よこみちに踏み込んでいたのに気がつくと、私はもう堪えかねて繃帯の上から眼をおおうて薬局の窓に俯伏した。
「藤岡さん、薬が出来ましたよ」と書生は薬を火燈口から差し出してくれたが、私の姿をあやぶんで、
「また痛みますか、どうしたんです?」と窮屈そうにのぞきながら尋ねる。
「いいえ、どうも致しません」と私は簡単にこたえて大槻の家の門を出たが、水道の掘割に沿うて、紫苑しおんの花の咲きみだれた三田村の道を停車場の方にたどるのである。
私はなぜに千代子のことをおもうてこんなに苦しむのだろう、私はゆめあのひとを恋してはいない、私がいつまでもいつまでもあの女のことを思うたにしてもそれは思うばかりで、それでつまりがどうしようというのでもない、恋してもいない人のことをなぜこんなに気にするのだろう。
それともこれが恋というものであろうか。
私の耳には真昼の水の音がさながらゆめのように聞えて、細いすぎの木立から漏れて来る日の光が、さながら月夜の影のように思いなされた。

白柳秀湖「駅夫日記」その12

夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。

夢二32

その十二
「今度複線工事のことについてちょっと用事が出来てここまでやって来たのです。プラットホームで足立さんに会って挨拶をしていると、今の一件です。
駅長さんが飛び出したもんですから、私もすぐその後へついて行った。この児が」といいかけてちょっと私の方を見て、「野郎に突き倒されるのを見ると、グッとしゃくさわって男の襟頸えりくびを引っ掴んで力任せに投げ出したんです、するとちょうど隧道トンネルつかえた黒煙が風の吹き廻しでパッと私たちの顔へかかったんでどうなったか一切夢中でしたけれども、眼をいて見ると可哀そうに野郎インバネスを着たまま横倒しに砂利の上にいつくばっている……」
「マア!」と言うて人のいい細君は眉をひそめた、私もかたきながらこの話を聞いては、あんまりいい気もしなかった。
「それから足立さんと二人で、男を駅長室に連れ込んではなして見たところが、イヤどうも分らないの何のって、工学士と言えば、一通りの教育もありながら、あんまり馬鹿げていて、話にも何にもならないです」
「悪かったとも何とも言わないのですか」
「ヤレ駅夫が客に対してあんまり無法なことをするとか、ヤレ自分は工学士で汽車には慣れているから、大丈夫飛乗りぐらいは出来るとか、まるで酔漢えいどれを相手にして話するよりも分らないのです。何しろ柔和おとなしい足立さんも今日はよほど激していたようでした」
私は小林の談話はなしを聴いて、言いしれぬ口惜しさを覚えた。自分の職務というよりも、私があの紳士を制止したのは紳士の生命をあやぶんでのことではないか、私は弱き者の理由がかくして無下ににじられて行くのを思うて思わず小さい拳を握った。
「柔和しい足立さんの言うことが私にはもう、まだるっこくなって来たもんですから、手厳てきびしく談じつけてやろうとすると足立さんが待てというて制する。足立さんはそれから静かに理を分けてまるで三歳児みつごに言い聞かすように談すと野郎もさすがに理に落ちたのか、私の権幕にじたのか、駅夫の負傷は気の毒だから療治代はいくらでも出すとぬかすじゃあありませんか」
私は思わず涙の頬に流れるのを禁じ得なかった、療治代は出してやる、私はつくづく人の心の悲しさを知った。さすがに人のいい細君も「マア何という人でしょう!」というてホッと吐息を漏らした。
「ところが驚くじゃあありませんか、私と足立さんとが、決して金を請求するためにこんなことを言うたのじゃあない、療治代を貰いたいために話したのじゃあないと言うと、野郎怪訝けげんな顔をしているのです。それから何と言うかと思うと、おれは日本鉄道の曽我とは非常に懇意のなかだ、何か話しがあるならば曽我に挨拶しようと言う。私はもうグッと胸がつまって来ましたから、構うことはないもうやっつけてしまえと思ったのですけれども、足立さんがしきりに止める。私も駅長の迷惑になるようではと思いかえして腕力だけはやめにして出て来たんです」
話しているところへ駅長が微笑を含んで入って来た。
「曽我祐準の名をよほどわれわれが怖がるものと思うたのか、曽我曽我と言い通して腕車くるまで逃げ出してしもうたよ」と言いながら駅長は制服のまま、小林と並んで縁側に腰を下したが、「どうも立派な顔はしていても、話して見ると、あんな紳士が多いのだからな」と言うたが思い出したように私の方を見て、
「傷はどうだい、あんまり大したこともあるまい、今、岡田に和服きものを取りに行ってもらうことにした」
短かい秋の日はもう暮れかけて、停車場では電鈴がさも忙しそうに鳴り出した。

白柳秀湖「駅夫日記」その11

夢二の絵は、「暮笛」表紙。
小説は、法師蝉、コスモス。

夢二31

その十一
私はそのまま駅長の社宅に連れて行かれて、南向きの縁側に腰を下すと、駅長の細君が忙わしく立ち働いていろいろ親切に手を尽してくれる。
そこへ罷職軍医の大槻延貴のぶたかというのがやって来て、手当てにかかる。私はジッと苦痛くるしみを忍んだ。
手術はほどなく済んで繃帯も出来た。傷は案外に浅くって一週間ばかりで全治するだろうという話、細君の汲んで来た茶を飲みながら大槻は傍にいた岡田を相手に、私が負傷した顛末てんまつを尋ねると細君もまゆひそめながら熱心に聞いていたが、
「マア、ほんとうに危険あぶないですね、――それにしても藤岡さんがいなけれゃあ、その人は今ごろもうどうなっているか分りませんね」
「何にしろ、すぐ隧道トンネルになるのですからね、どうしたって助かるわけはないです」と岡田が口を入れる。
危険あぶないですな! 汽車も慣れるとツイ無理をしたくなって困るのです」と大槻はいうたが、細君と顔を見合わせて、さて今まで忘れていたように互いに時候の挨拶をする。
大槻は年ごろ五十歳あまり、もと陸軍の医者で、職をめてからは目黒の三田村にうつり住んで、静かに晩年を送ろうという人、足立駅長とは謡曲の相手で四五年以来このかた交際つきあいであるそうだ。
大槻芳雄というのは延貴のひと息子むすこで、少からぬ恩給の下る上に遺産もあるので、出来るだけ鷹揚おうようには育てたけれど、天性うまれつき才 気の鋭い方で、学校も出来る、それに水彩画がすきでもし才気に任せて邪道に踏み込まなかったならばあっぱれの名手となることだろうと、さる先輩は嘆賞し た。けれどもこの人の欠点をいえばあまり画才に依頼しすぎて技術の修練をおろそかにするところにある。近ごろ大槻はある連中とともに日比谷公園の表門に新 設される血なまぐさいパノラマを描いたとかいうので朋友なかまの間には、早くもこの人の前途に失望して、やがては、女のあさましい心をくために、呉服屋の看板でも描くだろうというような蔭口をきく者もあるそうである。
岡田はしばらくするうちに、停車場ステーションの方に呼ばれて行く、大槻軍医も辞し去ってしもうた。後で駅長の細君は語を尽して私を慰めてくれた。細君というのは年ごろ三十五六歳、美人というほどではないけれども丸顔の、何となく人好きのするというたような質である。
「下宿にいちゃあ何かと困るでしょう、どうせ一週間ばかりならうちにいて養生してもいいでしょう、ね、宅でも大変お前さんに見込みをつけていろいろお国の事情なんかも聞いて見たいなんて言うていましたよ」
「え、ありがとう、しかしこの分じゃあ大した傷でもないようですから、それにも及びますまい、奥様にお世話になるようではかえって恐れ入りますから」
「何もお前さん、そんな遠慮には及ばないよ、ちっとも構やあしないんだから気楽にしておいでなさいよ」細君は一人で承知している。
ブーンとものの羽音がしたかと思うとツイ眼の先の板塀で法師蝉ほうしぜみが鳴き出した。コスモスの花に夕日がさして、三歩の庭にも秋の趣はみちみちている。
「オ ! 奥さんですか、今日はとんだことでしたね」と言う声に見ると、大槻が開け放して行った坪の戸から先刻さっきプラットホームで見受けた工夫頭らしい男が、声をかけながら入って来たのであった。細君は立ち上って、
「マア小林さん、今日は……随分久しぶりでしたね」という口で座蒲団を出す。小林はちょっと会釈して私を繃帯の下からのぞくようにして、
「どうだい君! 痛むかい、乱暴な奴もあるもんだね」
「え、ありがとう、なに大したこともないようです」
「傷も案外浅くてね、医者も一週間ばかりでなおるだろうって言うんですよ」と細君が口を添える。
「奥さん、今日は僕も関係者かかりあいなんですよ」
「エ! どうして?」とポッチリとした眼をみはる。
「あんまり乱暴なことをしやあがるので、ツイ足がすべって野郎を蹴倒けたおしたんです」と言うたが細君の汲んで出した茶をグッと飲み干す。私は小耳を引っ立てて聴いている。

白柳秀湖「駅夫日記」その10

夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。
小説は、エビスビール、百舌鳥(もず)、櫨(はぜ)。

夢二30

その十
雨がやむと快晴が来た。
シットリと濡れた尾花が、花やかな朝日に照りそうて、冷めたい秋風が一種言いしれぬ季節の香を送って来る。崖の上のはぜはもう充分に色づいて、どこからとなく聞えて来る百舌鳥もずの声が、何となく天気の続くのを告げるようである。
今日は日曜で、乗客が非常に多い。午後一時三十五分品川行きの列車が汽笛を鳴らして運転をはじめたころ、エビスビールあたりの帰りであろう、面長の色の浅黒い会社員らしい立派な紳士が、眼のあたりにポッと微薫を帯びて、洋杖ステッキを持った手に二等の青切符を掴んで階壇を飛び降りて来た。
危険あぶない! もうお止しなさい !!! 駄目だめです駄目だめです!」と私は一生懸命に制止した。
紳士は微酔ほろよ機嫌きげんでよほど興奮しているものと見えて、私のいうことをさらに耳に入れない。行きなり疾走をはじめた二等室を追いかけて飛び乗りをしようとする。私はこの瞬間たしかに紳士の運命を死と認めた。
よし救え! 私は立ちどころに大胆な決心をした。
まさに紳士が走り出した汽車の窓に手をかけようとした刹那せつな、私は紳士のインバネスの上から背後うしろざまに組みついた。
「な、な、何をするか! 失敬な !!!   こやつ……」
「お止しなさい、危険あぶないです !!!」
駅長も駆けつけた。
けれどもこの時紳士は男の力をこめて私を振り放したが、かっとして向き返ると私の胸を突き飛ばした。私は突かれるとそのまま仰向けに倒れたので、アッという間もなく、柱の角に後頭部をしたたか打ちつけた。
*    *    *
仮繃帯かりほうたいの下から生々しい血汐ちしおにじみ出して私はいうべからざる苦痛を覚えたが、駅長の出してくれたかけいの水をグッと飲み干すとやや元気づいて来た。
汽車はもう遠く去ったけれども、隧道トンネルの口にはまだ黒い煙が残っている。見ると紳士の顔にもしたたか泥が付いて、恐ろしい争闘いさかいでもした跡のよう、顔は青褪あおざめて、唇には血の気の色もない、俯向いてきまりが悪そうにしおれている。口髯くちひげのやや赤味を帯びたのが特長で、鼻の高い、口もとに締りのある、ちょっと苦味走った男である。
紳士の前に痩身やせぎすの骨の引き締った三十前後の男が茶縞ちゃじまの背広に脚袢きゃはんという身軽な装束いでたちで突き立ったまま眼を光らしている。鳥打帽子の様子といい、草鞋わらじをはいたところといいどこから見ても工夫のかしらとしか見えない。
「どうだ上まで歩かれるか、大丈夫だろう洗って見たら大した傷でもあるまい」と駅長が優しくいうので、私も気を取り直して柱を杖に立ち上った。
傷は浅いと見えてもうあまり眩暈めまいもしない。「もう大丈夫です」と答えると、駅長はちょっと紳士の方を向いて、
「どうかちょっとお話し致したいことがございますから」というと紳士は黙ってうなずいた。
「じゃあ君もね」と工夫頭の方を向いて駅長が促した。その親しげなものの言い振りで私ははじめて、二人が知己しりあいであるということを知った。
駅長は親切に私をいたわって階壇をのぼるとその後から紳士と工夫頭とがついて来た。壇を昇りきると岡田が駆けて来て、
「大槻さんが今すぐに参りますそうで」と駅長の前に呼気いきを切りながら復命した。

白柳秀湖「駅夫日記」その9

夢二の絵は、童謡「凧」の装幀原画。
小説は、麻布十番 白金。

夢二29

その九
見れば根っから乞食こじきでもないようであるのに、孤児みなしごででもあるのか、何という哀れな姿だろう。
「おい、冷めたいだろう、そんなにれて、かさはないのか」
「傘なんかない、食物だってないんだもの」といまだ水々しい栗の渋皮をむくのに余念もない。
「そうか、目黒から来たのか、家はどこだい父親ちゃんはいないのか」
「父親なんかもうとうに死んでしまったい。母親おっかあだけはいたんだけれど、ついとうおれを置いてけぼりにしてどこかへ行ってしまったのさ、けどもおらアその方が気楽でいいや、だって母親がいようもんならそれこそしかられ通しなんだもの」
「母親は何をしていたんだい」
納豆なっとう売りさ、毎朝麻布あざぶの十番まで行って仕入れて来ちゃあ白金の方へ売りに行ったんだよ、けどももう家賃が払えなくなったもんだから、おればっかり置いてけぼりにしてどこかへ逃げ出してしまったのさ」
「母親一人でか?」
「小さい坊やもつれて!」
「どこに寝ているのか」
昨夜ゆうべは大鳥様へ寝た」と権之助坂の方を指さして見せる。
私はあまりのいたましさに、ポケットから白銅を取り出してくれてやると少年は無造作に受け取って「ありがとう」と言い放つとそのまま雨を衝いて長峰のおでん屋の方に駆けて行ってしまった。
見送ってぼんやりと佇んでいると足立駅長が洋服にじゃの傘をさして社宅から来かけたが、廊下に立ってじっと私の方を見ていた。雨垂れの音にまぎれて気がつかなかったが、物の気配に振り向くとそこに駅長が微笑を含んでいた。
今の白銅は私が夕飯のおかずを買うために持っていたので、考えて見ると自分の身に引き比べて何だか気羞かしくなって来た。コソコソと室に入って椅子によると同時に大崎から来た開塞の信号が湿っぽい空気に鳴り渡った。乗客のりては一人もない。

白柳秀湖「駅夫日記」その8

夢二の絵は、「婦人グラフ」表紙。
小説は、目黒ステーション晩秋。

夢二28

その八
「ちょいと、マア御覧よ、こんどはこんなことが書いてあってよ」と一人が小さい紙切を持ってベンチの隅に俯伏すとやっと、十四五歳のを頭に四五人の子守女 が低い足駄をガタつかせて、その上に重なりおうててんでに口のなかで紙切の仮名文字をおぼつかなく読んで見てはキャッキャッと笑う。
子守女とはいうものの皆近処の長屋に住んでいる労働者の娘で、学校から帰って来るとすぐ子供の守をさせられる。雨が降っても風が吹いてもこの子守女が停車場ステーションに来て乗客のりての噂をしていないことはただの一日でもない、はなやかに着飾った女の場合はなおさらで、さも羨ましそうに打ち眺めてはヒソヒソと語りあう。
季節の変り目にこの平原によくある烈しい西風が、今日は朝から雨をいざのうて、硝子がらす窓に吹きつける。沈欝な秋の日に乗客はほんの数えるばかり、出札の河合は徒然つれづれに東向きの淡暗うすぐらい電信取扱口からのぞいては、例の子守女を相手に聞きぐるしい、恥かしいことを語りおうていたが、果てはさすがに口へ出しては言いかねるものと見えて、小さい紙片に片仮名ばかりで何やら怪しいことを書きつけては渡してやる。
女はそれを拾い読みに読んではたのしんでいる。その言いしれぬ肉のおもいを含んだ笑い声が、光の薄い湿っぽい待合室に鳴り渡って人の心を滅入めいらすような戸外そとの景色にくらべて何となく悲しいような、またあさましいような気がして来る。
「あれ――河合さんいやだよ、よう! 堪忍してよう!」と賤しい婦人おんなびるような、男の心を激しく刺激するような黄いろい声がするかと思うと、ほかの連中が、ワッと手をたたいて笑う、
「もう雷様が鳴らなけりゃあ離れない、雷様が」と河合がしつけるような低い声で言う。
「謝ったよう! 謝った」と女は泣くように叫ぶ。一番年量としかさの、多分高谷の姿でも真似たつもりだろう、髪をひさしに結うて、間色のリボンを付けたのが、子を負ったまま、腰を屈めて、愛嬌の深い丸顔を真赤にしてしきりに謝っている。
見ると女はどうしたものか火燈口から右の手を河合に取られている。河合はその手をギュッと握って掌へ筆で何か描こうとしている。
「痛いじゃあないか、謝ったからよう! あれ――あんなものを書くよう……」
雨はまた一としきり硝子窓をつ、淋しい秋の雨と風との間にみだりがましい子守女の声が絶えてはまた聞えて来る。
私の机の下の菰包こもづつみの蔭では折ふし思い出したように虫の音がする。
ふと見ると便所の方に向いた窓の硝子に人影が射したので、私はツイと立って軒伝いに冷たい雨の頻吹しぶきを浴びながら裏の方に廻って見ると、青いくり毬彙いがが落ち散って、そこに十二三歳の少年こどもが頭からしずくのする麦藁むぎわら帽子をかぶってションボリとまだ実の入らぬ生栗を喰べている。
秋もややけて、目黒はもうそろそろ栗の季節である。

9 9 9

☆ 間色というのは、正色(黄・青・赤・白・黒)を混ぜ合わせて出来る色

白柳秀湖「駅夫日記」その7

夢二の絵は、「ねむの木」口絵

夢二27

その七
次の日の朝、私は改札口で思わず千代子と顔を合わせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の思いの浮んだことを見た、私は千代子のような美人が、なぜ私のような見すぼらしい駅夫風情ふぜいに、あんな意味こころのありそうな眼つきをするのだろうと思うとともに今朝もまた千代子を限りなく美しい人と思うた。
今日は岡田が休んだので私は改札もしなければならないのだ。
客は皆階壇を下りた、私は新宿行きという札をかけ変えて、一二等の待合室を見廻りに行った。見ると待合のベンチの上に油絵の風景を描き出した絵葉書が二枚置き忘れてある。
急いで取り上げて見たが、私はそれが千代子の忘れたものであることをすぐに気づいた。改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶように階壇を飛び降りたが、その刹那せつな、新宿行きの列車は今高く汽笛を鳴らした。
「高谷さん!! 高谷さん!!」と私は呼んでいつもの三等室の前へ駆けつけて絵はがきを差し出したけれども、どうしたものか今日に限って高谷は後背うしろの室にいない。
プラットホームに立っていた助役の磯というのが、私の手から奪うように葉書を取って、すでに徐行を始めた列車を追うて、一二等室の前を駆け抜けたが、
「高谷さん! お忘れもの!」と呼んで絵はがきを差し出した。
掌中の玉を奪われたようにぼんやりとして佇んでいると、千代子は車窓から半身を出して、サモ意外というたようにそれを受け取って一旦顔を引いたが、窓からこちらを見て、はるかに助役に会釈した。
平常ふだんから快からず思う磯助役の今日の仕打ちは何事であろう、あまり客に親切でもないくせに、美しい人と言えばあの通りだ。そのくせ自分はもう妻子もある身ではないか。
運転手は今馬力をかけたものと見えて、汽鑵車はちょうど巨人のあえぐように、大きな音を立てて泥炭でいたんの煙を吐きながら渋谷の方へ進んで行く、高谷の乗っているクラスがちょうど遠方シグナルのあたりまで行ったころ、思い出したように、鳥打帽子が窓から首を出してこちらを見た。
それは大槻芳雄であった。
ああ千代子は大槻と同じ室に乗るために常例いつもの室をやめたのではあるまいか、千代子はフトすると大槻と恋に陥ったのかも知れない、千代子は大槻を恋しているに違いない。私はこう思って見たが、心の隅ではまさかそうでもあるまいと言う声がした。
俯向うつむいて私は私の掌を見た。労働に疲れ雨にうたれて渋を塗ったような見苦しい私の掌には、ランプの油煙と、機械油とが染み込んでいかにも見苦しい、こんなきたない手で私は高谷さんの絵葉書を持ったのか。
洗ったら少しは綺麗になるだろう。
かのかけいの水のほとりには、もう野菊と紫苑しおんとが咲きみだれて、穂に出た尾花の下には蟋蟀こおろぎの歌が手にとるようである。私はかがんで柄杓ひしゃくの水を汲み出して、せめてもの思いやりに私の穢い手を洗った。
「おい藤岡! あんまりめかしちゃあいけないよ、高谷さんに思いつかれようたッて無理だぜ」
助役は別に深い意味で言うたわけでもなかったろうけれど、私にとっては非常に恐ろしい打撃であった。ほとんど脳天から水を浴びせられたように愕然ぎょっとして見上げると磯は、皮肉な冷笑を浮べながら立っていた。
「お千代さんがよろしくって言ったぜ、どうも御親切にありがとうッて……」
「だって私は自分の……」
とまでは言うたが、あとはくちびる強張こわばって、例えば夢の中でもだえ苦しむ人のように、私はただ助役の顔をジッと見つめた。
「君! 腹を立てたのか、馬鹿な奴だ、そんなことで上役に怒って見たところで何になる」
私は怒ったわけじゃなかッたけれども、助役の語があまりはげしく私の胸にこたえたので、それがただの冗談とは思われなかったからである。
私は初めから助役を快よく思うていなかったのが、このこと以来、もう打ち消すことの出来ない心の隔てを覚えるようになったのである。

銀座から横浜日本フィル定期演奏会

4月19日(土)

今日は、東京海上時代の友達と銀座へランチに出掛けました。
銀座三越で、先日の筍のお礼・たねやで本生水羊羹を送り、スペイン料理の店「びいどろ」に行く。
銀座 023-1      銀座 024      銀座 026
現在FP(ファイナンシャル・プランナー)として活躍している人などからいろいろ悩みを聞いて、じゃあショッピングしましょうよと言うことになって、
シャンハイ・タンに行ってあれこれ見て回った。
お茶を飲んでそのまま横浜へ、
午後6時から日本フィル横浜定期@みなとみらいホールです。


インキネン          モンラー3
   ピエターリ・インキネン               ホアン・モンラ
        曲目
     
シベリウス/交響詩「エン・サガ」
   サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番
         ~休憩~
   チャイコフスキー/交響曲第4番
   指揮/ピエターリ・インキネン
   ヴァイオリン/ホアン・モンラ
   コンサートマスター/江口有香    
ピエターリ・インキネンもホアン・モンラも有名じゃないので、空席が目立ちます。
主人とは直接席で落ち合い、シベリウスの「エン・サガ」が始まって、えっ、この曲知らない!
何?何? と言う感じでした。後程
「エン・サガ」は、スエーデン語で「ある伝説」と言う意味だと判明。

指揮者のピエターリ・インキネンはフィンランド生まれ、弱冠27歳です。うちの息子と同じくらい。
素晴らしい指揮ぶりです。
サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲のホアン・モンラ君もインキネンと同じくらいの年です。
1980年中国・上海生まれ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝した史上3人目のアジア人。
今日は 上海(シャンハイ)デイなのかな?
どうしよう!!インキネン君の落ち着いた指揮で、モンラ君サン=サーンス弾き切りました。
そしてアンコールは、パガニーニのネル・コル・ピウによる変奏曲。正しい曲名は、「パイジェルロの〝水車屋の娘〟の
〝わが心うつろになりて〟による変奏曲」で、とっても難しい曲です。両指のピチカートが続きます。
チャイコフスキーの第4交響曲もインキネン君の見事な指揮と、日フィルの熱演で、最高のものになりました。
インキネン君アンコールは、日本語で紹介してくれました。
・・・アンコールハ、シベリウスノ ヴァルストリスティスヲ エンソウシマス・・・
シベリウスの「悲しき円舞曲」です。素敵です!
インキネン君は、14歳から指揮台に立っており、ヴァイオリニストとしても有名で、現在ニュージーランド響の音楽監督を務めている。
信じられないですよね? 14歳から指揮者として指揮台に立って、27歳で音楽監督ですから。
彼らは二人共演奏はすごいのですが、 春の風のようにさわやかな雰囲気もあります。 291420
終演後は、桜木町駅前のビルの中の「月の雫」で、いつものメンバーで軽い夕食をし、インキネン君とモンラ君の話で持ちきりでした。
食後のデザートには、K嬢のケーキにクッキーも。
今日は、京都あたりにでも行ったような心地良い旅疲れの気分です。

白柳秀湖「駅夫日記」その6

夢二の絵は、「ねむの木」口絵。
小説は、千代子の生い立ち、大鳥神社。

夢二25

その六
岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡って突き当りに小学校がある、その学校の裏ということである。それを尋ねて見ようというのではないけれども、私はいつとはなしに大鳥神社の側を折れて、高谷千代子の家の垣根かきねに沿うて足を運んだ。
はるかに火薬庫の煙筒は高く三田村の岡をいて黄昏たそがれの空に現われているけれども、黒蛇のような煤煙はもうやんでしまった。目黒川の対岸むこう、一面の稲田には、白いもやが低く迷うて夕日が岡はさながら墨絵を見るようである。
私がさる人の世話で目黒の停車場ステーションに働くことになってからまだ半年には足らぬほどである。初めて出勤してその日から私は千代子のあでやかな姿を見た。千代子はほかに五六人の連れと同伴いっしょに定期乗車券を利用して、高田村の「窮行きゅうこう女学院」に通っているので、私は朝夕、プラットホームに立って彼女を送りまた迎えた。私は彼女の姿を見るにつけて朝ごとに新しい美しさを覚えた。
世には美しい人もあればあるもの、いずくの処女おとめであるだろうと、私は深く心に思うて見たがさすがに同職なかまに聴いて見るのも気羞かしいのでそのままふかく胸に秘めて、毎朝さまざまの空想をめぐらしていた。
ある日のこと、フトした機会はずみから出札の河合が、千代子の身の上についてややくわしい話を自慢らしく話しているのを聞いた。彼は定期乗車券のことで毎月彼女と親しくことばを交すので、長い間には自然いろいろなことを聞き込んでいるのであった。
千代子は今茲ことし十七歳、横浜で有名な貿易商正木なにがしの妾腹に出来たものだそうで、そのめかけというのは昔新橋で嬌名の高かった玉子とかいう芸妓げいしゃで、千代子が生まれた時に世間では、あれは正木の子ではない訥弁とつしょうという役者の子だといううわさが高く一時は口の悪い新聞にまでもうたわれたほどであったが、正木は二つ返事でその子を引き取った。千代子はその母の姓を名乗っているのである。
千代子の通うている「窮行女学院」の校長の望月貞子というのは宮内省では飛ぶ鳥も落すような勢力、才色兼備の女官として、また華族女学校の学監として、白雲遠き境までもその名を知らぬ者はないほどの女である。けれども冷めたい西風は幾重の墻壁しょうへきを越して、階前の梧葉ごようにも凋落ちょうらくの秋を告げる。貞子の豪奢ごうしゃな生活にも浮世の黒い影は付きまとうて人知れず泣く涙は栄華の袖にかわく間もないという噂である。この貞子が世間に秘密ないしょで正木某から少からぬ金を借りた、その縁故で正木は千代子が成長するに連れて「窮行女学院」に入学させて、貞子にその教育を頼んだ。高谷千代子は「窮行女学院」のお客様にあたるのだ。
いやしい女の腹に出来たとはいうものの、生まれ落ちるとそのままいまの乳母の手に育てられて淋しい郊外に人となったので、天性うまれつき器用な千代子はどこまでも上品で、学校の成績もよく画も音楽も人並み優れて上手という、乳母の自慢を人のいい駅長なんかは時々聞かされるということであった。
私は始めて彼女のはかない運命を知った。自分ら親子の寂しい生活と想いくらべて、やや冷めたい秋の夕を、思わず高谷の家の門のほとりに佇んだ。洒然さっぱりとした門の戸は固くとざされて、竹垣の根には優しい露草の花が咲いている。

筍が届いた!

4月16日(水)
例年通り、主人の友達からこんな筍が三本届きました。
うれしい!
筍 020
今回は糠(ぬか)まで付けてくれました。糠は、ゆでる時一緒に入れると柔らかくなるんですね。
そして1時間くらいゆでて、
筍ご飯          わかめと若竹煮     たらの芽、蕗のとう、えび、筍のてんぷら
筍 035-1    筍 026-1    筍 032-1
筍ごはんは、5合くらいもち米を混ぜるとさらにおいしくなります。
てんぷらの筍は、生のまま切りたてに衣を付けて揚げるとさくさくと美味しい。
筍尽くしの夕食でした。

白柳秀湖「駅夫日記」その5

夢二の絵は、雑誌「新少女」の口絵。
小説は、「権之助坂」の由来。虎杖(いたどり)、藤袴(ふじばかま)。

夢二24

その五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇やすみの日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖いたどりの花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的あてもなく物思いながらたどるのである。
私は権之助という侠客おとこだての物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒ビールを飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒界隈かいわいはもと芝増上寺ぞうじょうじの寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升をかすめて町奉行まちぶぎょうに告訴した、権之助のために増上寺の不法はめられたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引きまわしにされた上、この岡の上でいたましい処刑しおきにおうたということ。
ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。
私は空想の翼をせて、色の浅黒い眼の大きい、骨格のたくましい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代ときよが違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。
羞かしいではないか、私のような欝性うつしょうがまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。
いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけ れども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その 水車の響がまた無声にまさる寂しさをいざなうのであった。
人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後うしろをふりかえると、高谷千代子とその乳母うばというのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。
私は俯伏うつぶして水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私のかたを消してしもうた。
波紋のみだれたように、私の思いはき乱された。
あのひとはいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑あざわらったのではあるまいか、私のむさくるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。
波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌かおつきをもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴ふじばかまの花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。

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