白柳秀湖「駅夫日記」その24

夢二の絵は、春潮 楽譜。

小説は、蓮華、鷺草、きんぽうげ、鍬形草、高谷千代子の結婚。
夢二49

その二十四
四月一日私はいよいよ小林浩平に伴われて門司へ立つのだ。三月十五日限り私は停車場ステーションをやめて、いろいろ旅の仕度に忙わしい。たとえば浮世絵の巻物をひろげて見たように淡暗い硝子の窓に毎日毎日映って来た社会のあらゆる階級のさまざまな人たち、別離わかれと思えば恋も怨みも皆夢で、残るのはただなつかしい想念ばかりである。森も岡も牧場も水車小屋も、辛い追懐おもいの種ばかり、見るに苦しい景色ではあるけれど、これも別離と言えばまた新しい執着を覚える。
旅の支度も大かた済んだ。別離の心やみがたく私は三月二十八日の午後、権之助坂を下りてそれとはなしに大鳥神社の側の千代子の家の垣に沿うて、橋和屋という料理屋の傍から大崎の田圃たんぼに出た。
蓮華げんげ鷺草さぎそう、きんぽうげ、鍬形草くわがたそう、暮春の花はちょうど絵具箱を投げ出したように、曲りくねった野路を飾って、久しい紀念おもいでの夕日が岡は、遠く出島のように、メリヤス会社のところに尽きている。目黒川はその崎をめぐって品川に落ちる、その水のよどんだところを亀の子島という。
大崎停車場は軌道の枕木を黒く焼いて拵えたあらっぽいさくで囲まれている。その柵の根には目覚むるような苜蓿クロバーの葉が青々と茂って、白い花が浮刻うきぼりのように咲いている。私はいつかこの苜蓿の上に横たわって沈欝な灰色の空を見た。品川発電所の煤煙が黒蛇のように渦まきながら、亀の子島の松をかすめて遠い空に消えて行く、私はその煙の末をつくづくと眺めやって、私の来し方のさながら煙のようなことを思うた。
遠くけたたましい車輪の音がするので振り返って見ると、目黒の方からほろをかけた人力車が十台ばかり、勢いよく駆けて来る。雨雲の低く垂れた野中の道に白い砂塵が舞い揚って、青い麦の畑の上に消える。車は見る見る近づいて、やがて私の寝ている苜蓿の原の踏切を越えた。何の気もなく見ると、中央まんなか華奢きゃしゃな車に盛装した高谷千代子がいる。地が雪のようなのに、化装よそおいらしたので顔の輪廓が分らない、ちょいと私の方を見たと思うとすぐ顔をそむけてしもうた。
佳人の嫁婚!
油のような春雨がしとしとと降り出した。ちょうど一行の車が御殿山の森にかくれたころのことである。
翌日私の下宿に配達して行った新聞の「花嫁花婿」という欄に、工学士鉦次郎しょうじろうの写真と、高谷千代子の写真とが掲載されて、六号活字の説明にこんなことが書いてあった。

工学士蘆鉦次郎氏(三十五)は望月貞子の媒酌ばいしゃくにて窮行女学院今年の卒業生中才色兼備の噂高き高谷千代子(十九)と昨日品川の自宅にて結婚の式を挙げられたり。なお同氏は新たに長崎水谷造船所の技師長にへいせられ来たる四月一日新婚旅行を兼ね一時郷里熊本に帰省せらるる由なり。

蘆鉦次郎――高谷千代子――水谷造船所――四月一日、私はしばらく新聞を見つめたまま身動きも出来なかったが、私の身辺に何か目に見えない恐ろしい運命 の糸が纏いついているような気がして、われ知らず手を伸べて頭の髪を物狂わしきまでに掻きむしると、その手で新聞をビリビリと引き裂いてしまった。

白柳秀湖「駅夫日記」その23

夢二の絵は、春の鳥 口絵。

小説は、稲荷坂、木瓜の花と菫の花。

夢二45-1

その二十三
二十歳はたちの春は来た。
停車場ステーションもいつの間にか改築される、山の手線の複線工事も大略あらまし出来上って、一月の十五日から客車の運転は従来これまでの三倍数になった。もうこれまでのようにのんきなことも出来ない、私たちの仕事は非常に忙しくなって来た。
鉄道国有案が議会を通過して、遠からず日鉄も官営になるという噂は、駅長の辞意をいよいよ固くした。
私は仕事の忙しくなったことをむしろ歓んで迎えた。前途ゆくさき期待まちもうけのある身に取っては物思う暇のないほど嬉しいことはない、一月も二月も夢のように過ぎて、南郊の春は早く梅もうぐいすもともに老いた。
佳人の噂はとかく絶える間もない、高谷千代子は今年『窮行女学院』を卒業するとすぐ嫁に行くそうだという評判は出札の河合を中心としてこのごろ停車場の問題である。
「女というものは処女むすめの うちだけが花よ、学校にいればまた試験とか何とかいうて相応に苦労がある、マア学校を卒業して二三年親のところにいる間が女としては幸福な時だね、学校を 卒業するとすぐお嫁にやるなんて乳母も乳母だ、あんまり気が利かな過ぎるじゃあないか」生意気な河合はちょうど演説でもするようにしゃべる。
「ヒヤヒヤ、二三年目黒にいて時々停車場へ遊びに来るようだとなおいいだろう」と柳瀬という新しい駅夫が冷かすと、岡田が後へついて「柳瀬なんぞは知るまいがこれには深い原因わけがあるのだね、河合君は知っているさ、ねえ君!」
「藤岡なんぞあれで一時大いにふさぎ込んだからね」と私の方を見て冷笑する、私は思わず顔をあからめた。
姿なり、いでたちなり、婦人おんなというものはなるたけ男の眼をきつけるように装うてそれでやがて男の力によって生きようとするのだ。男の思いを惹こうとするところに罪がある。それは婦人が男によって生きねばならぬ社会の罪だ。罪は罪を生む。私たちのように汚れた、疲れた、羞かしい青年はむなしく思いを惹かせられたばかりで、そこに嫉妬が起る、そこに誹謗そしりが起る、私は世の罪を思うた。
*    *    *
三月十八日は高谷千代子の卒業日、私は非番で終日長峰の下宿に寝ているつもりであったけれども、何となく気が欝いでやるせがないので、家を出るとそのまま多摩川の二子ふたこの方に足を向けた。木瓜ぼけの花とすみれの花とが櫟林の下に咲き乱れている。そのまばらな木立越しに麦の畑が遠く続いて、菜の花の上に黒ずんだ杉の林のあらわれたところなど、景色も道も単調ではないけれど、静かな武蔵野の春にわれ知らず三里の道を行き尽して、多摩川の谷の一目に見渡される、稲荷坂いなりさかに出た。
稲荷坂というのは、もと布哇はわい公使の別荘の横手にあって、坂の中ほどに小さい稲荷のほこらがある。社頭から坂の両側に続いて桜が今を盛りと咲き乱れている。たまさかの休暇を私は春の錦という都にそむいて思わぬところで花を見た。祠の縁に腰をかけて、私はここで「通俗巴里一揆物語」の読みかけを出して見たが、何となく気が散って一ページも読むことが出来なかった。私は静かに坂を下りて、岸に沿うた蛇籠じゃかごの上に腰かけて静かに佳人の運命を想い、水の流れをながめた。
この一個月ばかり千代子はなぜあんなに欝いでいるだろう、汽車を待つ間の椅子ベンチにも項垂うなだれて深き想いに沈んでいる。千代子の苦悩は年ごろの処女が嫁入り前に悲しむという、その深き憂愁うれいであろうか。
群を離れた河千鳥がみぎわに近く降り立った。その鳴き渡る声が、春深いかすみに迷うて真昼の寂しさが身に沁みるようである。

白柳秀湖「駅夫日記」その22

夢二の絵は、暮笛 口絵。

夢二48のコピー

その二十二
「いい成仏じょうぶつをしろよ!」と小林の差図で工夫の一人がショーブルで土を小さい棺桶の上に落した。私はせめてもの心やりに小石を拾って穴に入れる。黙っていた一人がこんどは横合いから盛り上げてある土をザラザラと落したので棺はもう大かた埋もれた。
小坊主が、人の喉を詰まらせるような冷たい空気にむせびながら、鈴を鳴らして読経をはじめた。
小林は洋服のまま角燈を提げて立っている。
私が変死した少年のことについて小林に話すと、彼は非常に同情して、隧道トンネルの崩れたのは自分の監督が行き届かなかったからで、ほかに親類みよりがないと言うならば、このまま村役場の手に渡すのも可憐そうだからおれが引き取って埋葬してやるというので、一切を引き受けて三田村の寂しい法華寺ほっけでらの墓地の隅に葬ることとなった。もっともこの寺というのは例の足立駅長の世話があったのと、納豆売りをしていた少年の母のことを寺の和尚おしょうが薄々知っていたのとで、案外早く話がついて、その夜のうちに埋葬してしまうことになったのだ。
今夜はいつになく風が止んで、墓地と畑の境にそそり立ったはんの梢が煙のように、え渡る月をいて物すごい光が寒竹のやぶをあやしく隈どっている。幾つとなく群立った古い石塔の暗く、またあかく、人の立ったようなのを見越して、なだらかな岡が見える。その岡の上に麦酒ビール会社の建築物が現われて、黒い輪廓りんかくがあざやかに、灰色の空を区画くぎったところなど、何とはなしに外国とつくにの景色を見るようである。
むせぶような、絶え入るような小坊主の読経は、細くとぎれとぎれに続いた。小林監督は項垂うなだれて考え込んでいる。
*    *    *
「工事が済み次第行くつもりだ、しばらくあっちへ行って働いて見るのも面白かろう、同志なかまはすぐにも来てくれるようにと言うのだけれど今ここを外すことは出来ない、それに正軌倶楽部の方の整理しまつもつけて行かなけりゃあ困るのだから、早くとも来年の三月末ころにはなるだろうな」
「そうなれば私も非常に嬉しいのです。停車場の方もこのごろはつくづく嫌になりましたし、なるたけ早く願いたい方です」と私は心から嬉しく答えた。
「駅長も来年の七月までということだし、それにあっちへ行けば、同志の者は僕を非常に待っていてくれるのだから、君も今より少しはいい位置が得られるだろうと思う、かたがた君のためにはマア幸福かも知れない」
「足立さんも満足して下さるでしょう」
「あの男も実に好人物だ、郷里くにの小学校にいた時分からの友達で、鉄道に勤めるようになってからもう二十年にもなるだろう、もう少し覇気はきがあったなら相当な地位も得られたろうに、今辞職しちゃ細君もさぞ困るだろう」
二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林くぬぎばやしの下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶とだえて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。
長崎の水谷造船所と九州鉄道の労働者間にこんどよほど強固な独立の労働組合が組織されて、突然その組織が発表されたことは二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私はその組合の幹部が皆小林監督の同志であって、春を待って私たちがその組合の事業を助けるために門司もじに行かねばならぬということは夢にも思わなかったが今夜小林監督にその話を聞いて、私は非常に勇み立った。
実を言うと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去るということがあるからである。私はこのごろ、馴染なじみの乗客に顔を見られたり、また近処の人にったりすると、何だか「あやつもいつまで駅夫をしているのか」と思われるような気がして限りなき羞恥を覚えるようになって来た。その羞かしい顔をいつまでも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤おおなみのあたり見るような、烈しい生存の渦中に身を投げて、心ゆくまで戦って戦って、戦い尽して見たいという悲壮な希望に満たされていたからである。
私は雨戸を締めるために窓の障子を開けた。月の光は霜に映って、まるで白銀の糸を引いたよう。裏の藪できつねが鳴いた。

晴海の「ハイドン」といちご大福

5月30日(金)
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今日は、晴海の第一生命ホールで、ボロメーオ・ストリング・クアルテットの演奏会があるので、翠江堂にいちご大福を4個予約注文する。
夜7:00頃、いちご大福を受け取ってホール内に入る。
曲目
ハイドン/弦楽四重奏曲第79番ニ長調作品76-5「ラルゴ」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18-3
~休憩~
モーツァルト/弦楽五重奏曲第4番ト短調K516
ボロメーオ・ストリング・クァルテット
吉田有紀子(モーツァルトでの第2ヴィオラ)
初めて聴いたハイドンの「ラルゴ」に酔いしれてしまいました。
それで、家に帰ってから食べる翠江堂のいちご大福ハイドンの「ラルゴ」で今日は、一日幸せな気持ちです。
演奏会に関しては、(http://merrywillow.blog35.fc2.com/#717)をご覧下さい。

METライブビューイング@めぐろパーシモンホール

METライブビューイング アンコール上映が、めぐろパーシモンホールで上映されている。
5月26日(月)は、プッチーニ『マノン・レスコー』
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5月29日(木)は、同じくプッチーニ『ラ・ボエーム』を観て来ました。
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両方とも  S席:3500円        13:00~  と 18:00~ の2公演です。
A席:2000円
当日券で十分、それにA席でちゃんと観られます。
5月30日(金)は、ドニゼッティー『連帯の娘』ですが、これは諦めました。
この予告編では、ナタリー・デッセイがとっても魅力的でしたよ!
そして全ての公演に、ルネ・フレミングがインタヴュアーを務めています。
☆ 来シーズンの上映プログラムを貰ったのですが、
2008年9月22日(月) ガラ・コンサート(北米のみ)
2008年10月11日(土) R.シュトラウス『サロメ』
   カリタ・マッティラ
2008年11月8日(土) アダムス『ドクター・アトミック』(MET 初演)
   ジェラルド・フィンリー
2008年11月22日(土) ベルリオーズ『ファウストの劫罰』(新演出)
   マルチェロ・ジョルダーニ、スーザン・グラハム
2008年12月20日(土) マスネ『タイス』(新演出)
   トーマス・ハンプソン、ルネ・フレミング
2009年1月10日(土) プッチーニ『つばめ』(新演出)
   アンジェラ・ゲオルギウ、ロベルト・アラーニャ
2009年1月24日(土) グルック『オルフェオとエウリディーチェ』
ステファニー・ブライス、ダニエル・ドゥ・ニース
2009年2月7日(土) ドニゼッティー『ランメルモールのルチア』
   アンナ・ネトレプコ
2009年3月7日(土) プッチーニ『蝶々夫人』
クリスティーナ・ガリャルド=ドマス
2009年3月21日(土) ベッリーニ『夢遊病の娘』(新演出)
   ナタリー・デッセイ
2009年5月9日(土) ロッシーニ『ラ・チェネレントラ』
エリーナ・ガランチャ
日本上映については、決定次第松竹ホームページ他にて発表するそうです。

仙台へ!

5月21日(水)
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仙台へ行くことになりました。 台風も過ぎて旅行にピッタリのお天気です。 まずは、東京から行くと仙台の少し手前の白石から。
白石は伊達政宗の信頼する家臣の片倉小十郎が大改修をした白石城があって、とっても静かで落ち着いた町です。
今回は、娘が案内役です。     
           白石城                      仙台のマスコットキャラ「むすび丸」くん
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                                              片倉家の家紋は藤と笹
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                       白石城の天守閣から見た景色
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         小十郎温麺(うーめん)             うーめんはそうめんより少し太い
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                    小十郎うーめんは、たっぷりのねぎとごぼう天が入っていてとってもおいしい!
こじゅうろうくんこけしは現代風で、ももちゃソフトと生いちごソフトは果肉がいっぱい。
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24 白石市では、無料で自転車を貸し出していて、ここからは自転車で回ります。
旧小関家武家屋敷                    片倉家の廟所近くの眺望
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       菩提寺 傑山寺一本杉にある片倉小十郎の墓
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仙台駅から列車で30分ばかり、今夜の宿は松島一の坊です。
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夕食は、いたり庵
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突き出しは、もずくの山芋かけ、ほたてのからし味噌、メロンと生ハム、トマトとモッツァレラチェーズ
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                         パスタは、気仙沼産フカヒレのパスタ     洋風茶碗蒸しとサラダ
しめくくりは、穴子の白焼き           ドルチェは、ケーキ類すきなだけ
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5月22日(木) 今日は、暑いくらい・・・。
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松島一の坊で朝食をとってから、みちのく伊達政宗歴史館へ。

スターウォーズのダースベーダーのモデルは伊達政宗の甲冑?DSCF0221.jpg
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みちのくの伊達男は、世界的にセンスがよかったのですね。
でもお客のいない、ろう人形館で人形に見られるのは、怖いものです。
 瑞巌寺                       五大堂
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まだ見てないところは次の機会にしましょう。
お土産は,
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この中で、「味付け朝めしのり」が一番喜ばれました(8つ切り112枚で780円)。
ガラス容器のお菓子は、松島一の坊にしかないものらしくてとってもおいしい!
まだ食べてないものもありますので・・・。
厚切りの牛タンもお~いしかった。
行きの白石で足をくじいてしまい、温泉は諦めましたが、山には藤や桐の花がが真っ盛りで、気持ちのよい旅でした。
特に宮城「おとぎ街道」として売り出し中の白石市周辺は、若者文化をばかに出来ない新鮮な雰囲気を感じました。
「伊達な旅」また行きそうですね。こんどは牡蠣のおいしい頃・・・。

白柳秀湖「駅夫日記」その21

夢二の絵は、楽譜「寄宿舎の古釣瓶」。

夢二39

その二十一
少からず私の心を痛めた、足立駅長の辞職問題は、かの営業所長の切なる忠告で、来年の七月まで思いとまるということになって私はホッと一息した。
物思う身に秋は早くも暮れて、櫟林くぬぎばやしに木枯しの寂しい冬は来た。昨日まで苦しい暑さを想いやった土方の仕事は、もはや霜柱の冷たさをいたむ時となった。山の手線の複線工事も大略あらまし済んで、案の通り長峰の掘割が後に残った。このごろは日増しに土方の数を加えて、短い冬の日脚ひあしを、夕方から篝火かがりびを焚いて忙しそうに工事を急いでいる。灯の影にひらめく得物の光、暗にうごめく黒い人影、ののしり騒ぐ濁声だみごえ、十字鍬や、スクープや、ショーブルの乱れたところは、まるで戦争いくさの後をまのあたり観るようである。
大崎村の方から工事を進めて来た土方の一隊は長峰のもと隧道トンネルに平行して、さらに一個ひとつの隧道を穿うがとうとしている。ちょうどその隧道が半分ほど穿たれたころのことであった。一夜霜が雪のように置き渡して、大地はさながら鉱石あらがねを踏むようにてた朝、例の土方がてんでに異様ないでたちをして、零点以下の空気に白い呼気いきを吹きながら、隧道の上のいつものところで焚火をしようと思ってやって来て見ると、土は一丈もくぼんで、掘りかけた隧道は物の見事に破壊くずれている。
「ヤア、大変だぞ!! こりゃあ危ない!!」と叫ぶものもあれば「人殺しい、ヤア大変だ」と騒ぎ立てる者もある。
「夜でマアよかった、工事最中にこんなことがあろうものなら、それこそ死人があったんだ」
「馬鹿ア言え夜だからこんなことがあったんだ、霜柱のせいじゃあないか」
「生意気なことを言やあがる、手前見たような奴だ、こんなところで押しつぶされる玉は! あんまり強吐張ごうつくばりを言やあがると後生ごしょうがないぞ」
日がさして瓦屋根の霜の溶ける時分には近処の小売屋の女房かみさんも出て来れば、例の子守女も集まって喧しい騒ぎになって来た。監督の命令で崩れた土はすぐ停車場ステーション前の広場に積み上げる、夜を日についでも隧道トンネル工事を進めよというので、土方は朝からいつにない働き振りである。
霜日和しもびよりの晴れ渡ったその日は、午後から鳶色とびいろもやうすくこめて、風のいだ静かな天気であった。午後四時に私は岡田と交代して改札口を出ると今朝大騒ぎのあった隧道のところにまた人が群立って何か事故ことありげに騒いでいる。どうしたのだろう、また土が崩れたのではあるまいか、そうだそれに違いないと独りで決めて見物人の肩越しにのぞいて見ると、土は今朝見たまま、大かた掘り出してちょうど井戸のようになっているばかりで別に新しく崩れたという様子もない。
「どうしたんだい、誰か負傷けがでもしたの」と一人が聞くと、「人が出たんですとさ、人が!」と牛乳配達らしいのが眼を丸くして言う。私は事の意外に驚いたが、もしやと言う疑念が電光いなずまのように閃いたので、無理に人を分けて前へ出て見た。
疑念というのは、土の崩れた中から出た死骸しがいが、フト私の親しんだ乞食の少年ではないだろうか、少年は土方の夜業をして捨てて行ったもえさしにあたるために隧道の上の菰掛こもがけの仮小屋に来ていたのを私はたびたび見たことがあったからである。見ると死骸はもう蓆に包んで顔は見えないけれども、まだうら若い少年の足がその菰の端から現われているので、私はそれがあの少年にまぎれもないことを知った。
ああ、可憐かあいそうなことをした!
どこからともなく襲うて来た一種の恐怖が全身にしびれ渡って、私はもう再びその菰包みを見ることすら出来なかった。昨日まであんなにしていたものを、人間の運命というものは実に分らないものだ。何という薄命な奴だろう、思うに昨夜の寒さをしのぎかねて、焚火の燼の傍に菰を被ったままうずくまっていたところを、急に崩れ落ちて、こんなあさましい最後を遂げたに相違あるまい。
少年の事情はせめて小林監督にでも話してやろう、私は顔をあげて死骸の傍に突っ立っているたくましい労働者の群を見た。薄い冬の夕日が、弱い光をそのあから顔に投げて、猛悪な形相ぎょうそうに一種いいしれぬ恐怖と不安の色が浮んでいる。たとえば猛獣が雷鳴を怖れてそのたてがみの地に敷くばかり頭を垂れた時のように、「巡査おまわりが来た!」
「大将も一しょじゃあないか」「大将が来たぞ!」と土方は口々に囁く、やがて小林監督は駐在所の巡査を伴立つれだってやって来た。土方は言い合わせたように道をあける。

白柳秀湖「駅夫日記」その20

夢二の絵は、楽譜「陽気な鍛冶屋」 表紙。

夢二40

その二十
「今日の社会は大かた今僕が話したような状態ありさまで、ちょうどまた新しい昔の大名だいみょうが出来たようなものだ。昔の大名は領土を持っていて、百姓から自分勝手に取立てをして、立派な城廓しろを築いたり、また大勢の臣下けらいを抱えたりしていた。今話した富豪かねもちという奴がやっぱり昔の大名と同じで、領土の代りに資本を持っている大仕掛けの機械を持っている。資本と機械とがあればもうわれわれ労働者の生血を絞り取ることは容易いものだ。昔の祖先じいさんた ちが土下座をして大名の行列を拝んでいるところへ行って、今から後にはお大名だとか将軍様だとかいうものがなくなって、皆同等の人間として取り扱われる時 が来るというて見たところで、それを信ずるものは一人もなかったに違いない。けれども時が来れば大名もなくなる、将軍もなくなる。今僕がここで君に話した ようなことを、同輩なかまに聞かして見たところで仕方がない。
いや、僕にしてからがこれからの社会はどんなであろうとか、いつそんな社会になるであろうというようなことを深く考えるのは大嫌いだ、またそんな暇もないのだが、少くも現在自分たちは朝から晩までこんな苦しい労働をしてもなぜ浮ぶ瀬がないのか、なぜこんな世知辛せちがらい社会になったのか、また自分たちと社会とはどういう関係になっているのかということぐらいは皆が知っていてくれなくちゃあ困る、僕が先刻さっき話したようなことをだね」
小林監督は私を非常に愛してくれる。今日も宵から親切に話し続けて今の社会の成立をほとんど一時間にわたって熱心に説明してくれた。「先年大宮で同盟罷工ストライキがあってから、一時社会では非常にあの問題がやかましかったが、労働者はそう世間で言うように煽動おだてて見たところで容易く動くものじゃあない、世間の学者なんという奴らが、同盟罷工と言えばまるでお祭騒ぎでもしているように花々しいことに思うのが第一気に喰わねい、よしんば煽動おだてたにしろ、また教唆そそのかしたにしろ、君も知っての通りあの無教育な連中が一個月なり二個月なり饑?うえを忍んで団結するという事実の底には、どれほどの苦痛や悲哀があるのか知れたものではない」くぼんだ眼は今にも火を見るかと思われるばかり輝いて、彼の前にはもう何者もない、彼はもう去年プラットホームで私のために工学士を突き飛ばした工夫頭ではなくて、立派な一かどの学者だ、感にうたれうなじを垂れて聴きとれている私の姿が、彼にとっては百千の聴衆とも見えるようである。
「時の力というものは恐ろしいものだ。大宮一件以来もう十五年になる、僕たちが非常な苦痛をめていた種がこのごろようやく芽を出しかけた。北海道にも、足尾にも、別子にも、長崎にも僕たちの思想おもいは煙のように忍び込んで、労働者も非常な勢いで覚醒めざめて来た」
それから彼が、その火のような弁を続けて今にも暴風雨あらしの来そうな世の状態を語った時には、私の若い燃えるような血潮は、脈管にあふれ渡って、何とも知れず涙の頬に流れるのを覚えなかったが、私の肩にソッと手を掛けて、
「惜しいもんだ。学問でもさせたらさぞ立派なものになるだろう……けれども行先の遠いからだだ、その強い感情をやがて、世の下層に沈んで野獣のようにすさんで行く同輩のために注いでくれ給え、社会のことはすべて根気だ、僕は一生工夫や土方を相手にして溝の埋草になってしまっても、君たちのような青年わかものがあって、蒔いた種の収穫とりいれをしてくれるかと思えば安心して火の中にでも飛び込むよ」
激しい男性の涙がとめどなく流れて、私は面をあげて見ることが出来なかった。談話はなしは尽きて小林監督は黙って五分心の洋燈ランプを見つめていたが人気の少い寂寥ひっそりとした室の夜気に、油を揚げるかすかな音が秋のあわれをこめて、冷めたい壁には朦朧ぼんやりと墨絵の影が映っている。
「君はもう知っているか、足立が辞職するということを」こんどは調子を変えて静かに落ち着いて言う。
「エ! 駅長さんはもうやめるのですか!」と私は寝耳に水の驚きを覚えた。「いつ止めるのでしょう、どうして……」と私の声がとぎれとぎれになる。
「この間遊びに行くとその話が出た、もっとも以前からその心はあったんだけれど、細君が引き止めていたのさ」
「駅長さんが止めてしまっちゃあ……」と私は思わず口に出したが、この人の手前何となく気がとがめて口をつぐんだ。
「その話もあった。駅長がいろいろ君の身の上話もして、助役との関係も蔭ながら聞いた。もし君さえよければ足立の去ったあとは僕が及ばずながら世話をして上げよう」
その夜私はどこまでも小林に一身を任せたいこと、幸いに一人前の人間ともなった暁には、及ばずながら身を粉に砕いてもその事業のために尽したいということなどを、廻らぬ重い口で固くちかって宿を辞した。
長峰の下宿に帰ってからあかりを消して床に入ったが虫の声が耳について眠られない、私は暗のうちに眼ざめて、つくづく足立夫婦の親切を思い、行く先の運命をさまざまに想いめぐらして、二時の時計を聴いた。

白柳秀湖「駅夫日記」その19

夢二の絵は、ホームソング 表紙。
小説は、山の手線複線工事、恵比須麦酒。

夢二41

その十九
その春のくれ、夏の初めから山の手線の複線工事が開始せられた。目黒停車場ステーションの掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であった。小林浩平は数多の土方どかたや工夫を監督するために出張して、長峰に借家をする。一切の炊事は若い工夫が交代かわりばんに勤めている。私は初めて小林の勢力を眼のあたり見た、私は眼に多少の文字ある駅夫などがかえって見苦しい虚栄みえに執着して妄想の奴隷となり、同輩互いに排斥し合うているのに、野獣のような土方や、荒くれな工夫が、この首領の下に階級の感情があくまでも強められ、団結の精神のいかにもよく固められたのを見て、私はいささか羞かしく思うた。あらぬ思いに胸を焦がして、罪もない人をねたんだり、またにくしんだりしたことのあさましさを私はつくづく情なく思うた。
工事は真夏に入った。何しろ客車を運転しながら、みぞのように狭い掘割の中で小山ほどもある崖をくずして行くので、仕事は容易にはかどらぬ、一隊の工夫は恵比須麦酒えびすビールの方から一隊の工夫は大崎の方から目黒停車場を中心として、だんだんと工事を進めて来る。
初めのうちは小さいトロッコで崖を崩して土を運搬していたのが、工事の進行につれて一台の汽鑵車を用うることになった。たとえば熔炉の中で人を蒸し殺すばかりの暑さの日を、悪魔の群れたような土方の一団が、てんでに十字鍬つるはしや、ショーブルを持ちながら、苦しい汗を絞って、激烈な労働に服しているところを見ると、私は何となく悲壮な感にうたれる。恵比須停車場の新設地まで泥土を運搬して行った土工列車が、本線に沿うてわずかに敷設された仮設軌道レールの上を徐行して来る。見ると渋を塗ったような頑丈な肌を、烈しい八月の日にさらして、赤裸体あかはだかのもの、襯衣シャツ一枚のもの、赤いふんどしをしめたもの、鉢巻をしたもの、二三十人がてんでに得物えものを提げてどこということなしに乗り込んでいる。汽鑵の正面へ大の字にまたがっているのがあるかと思えば、踏台へ片足かけて、体躯からだを斜めに宙に浮かせているのもある。何かしきりにののしり騒ぎながら、野獣のような眼をひからせている形相は所詮しょせん人間とは思われない。
よほどのガラクタ汽鑵と見えて、空箱の運搬にも、馬力を苦しそうにあえがせて、泥煙をすさまじく突き揚げている、土工列車がプラットホーム近くで進行を止めた時、渋谷の方から客車が来た。掘割工事のところに入ると徐行して、今土工列車の傍を通る。土方は言い合わせたように客車の中をのぞき込んだが何か眼についたものと見えて、
「ハイカラ! ここまで来い」
「締めてしまうぞ……脂が乗ってやあがら」
「女学生! ハイカラ! 生かしちゃあおかねいぞ」
私は恐ろしい肉の叫喚さけびをまのあたり聴いた。見ると三等室のドアーが開いて、高谷千代子が悠々ゆうゆうとプラットホームに降りた。華奢きゃしゃ洋傘こうもりをパッとひろげて、別に紅い顔をするのでもなく薄い唇の固く結ぼれた口もとに、泣くような笑うような一種冷やかな表情を浮べて階壇を登って行ってしもうた、土方はもうみかえる者もない、いつの間にかセッセと働いている。
私はなぜに同じ労働者でありながら、あの土方のようにさっぱりとして働けないのであろう。
土方が額に玉のような汗を流して、腕の力で自然に勝って、あらゆるものを破壊して行く間に、私たちは、シグナルやポイントの番をして、機械に生血を吸い取られて行くのだ。私たちのこのせ衰えた亡者のような体躯からだに比べて、私はあのたくましい土方の体躯が羨ましい、そして一口でもいいからあの美しい千代子の前に立って、あんな暴言が吐いて見たい。
私は片山先生と小林監督との感化で冬の氷にとざされたような冷たい夢から醒めて、人を羨み身を羞じるというような、気遅れがちの卑しい根性をだんだんに捨てて行くことが出来た。
新しい希望に満たされて、私は新しい秋を迎えた。

蛇窪村って?

・・・おお、私はいつの間にか桐ヶ谷の火葬場の裏に立っていたのだ。森のこずえには巨人が帽を脱いで首を出したように赤煉瓦あかれんがの煙筒が見えて、ほそほそと一たび高く静かな空に立ち上った煙は、また横にたなびいて傾く月の光に葡萄鼠ぶどうねずみの色をした空を蛇窪村へびくぼむらの方に横切っている・・・。

ー白柳秀湖「駅夫日記」その16よりー

蛇窪村なんて初めて聞いた。
地図ー1


☆印の貴船神社の近くには
蛇窪 004    蛇窪 005


トット文化館(黒柳徹子さんの基金による)の向かいにあるので分かりやすい。
道標は「ヘビクボ道」とある。その左が「キリガヤ道」右が「オホヰ道」反対側が「オオサキテイシャバ道」となっている。
蛇窪 008

さらに☆印の上神明の天祖神社にはこんなものが
蛇窪 026  蛇窪 027  蛇窪 028
   蛇窪 030  蛇窪 031  蛇窪 035


荏原七福神の弁天様が祀られている「上神明天祖神社」に鎌倉時代、清水の湧き出す洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。しかし時代の移り変わ りとともに清水は途絶え、洗い場はなくなってしまいました。仕方なく白蛇は今の戸越公園の池に移り住んだのですが、やはりもといた場所が恋しくてなりませ ん。そこで旧家・森谷友吉の夢枕に立ち、元の場所に返して欲しいとお願いしました。森谷氏はこの話を天祖神社の宮司に伝え、弁天社を作って白蛇を再び迎え ることになりました。白蛇を迎えた夜、それまで星のまたたいていた空が一転にわかに掻き曇り、雷鳴とともに風が吹きすさんだといいます。
今ではその弁天社は場所を移してしまったそうですが、やはり地元の人たちの手によって残されています。天祖神社の裏側に隠れた弁天社はきっと、はじめて見 た人をビックリさせるに違いありません。なんと4匹の白蛇が屋根や柱にからまり、すぐそばの鳥居からは氣志團を思わせるリーゼント頭の龍神が顔をのぞかせ ています。
どうやら石碑に刻まれた文字からすると、昭和50年に真鍋勝さんという方が造って奉納したものなのだそうです。
これで、八つ墓村じゃなくて蛇窪村はたしかにあったことが判りました。



白柳秀湖「駅夫日記」その18

夢二の絵は、歌劇「カルメン」ハバネラの歌表紙。

夢二38-1

その十八
寂しい冬の日は暮れて、やわらかな春の光がまた武蔵野にめぐって来た。
ちょうど三月の末、麦酒ビール会社の岡につづいた桜のつぼみほころびそめたころ、私は白金しろかねの塾で大槻医師が転居するという噂を耳にした。塾というのは片山という基督きりすと教 信者が開いているのでもとは学校の教師をしていたのが、文部省の忌憚に触れて、それからはもう職を求めようともせず、白金今里町の森の中に小さい塾を開い て近処の貧乏人の子供を集めては気焔を吐いている。駅長とは年ごろ懇意にしているので私は駅長の世話で去年の秋の暮あたりから休暇の日の午後をこの片山の 塾に通うこととした。
片山泉吉というて年齢としは五十ばかり、思想は古いけれども、明治十八年ごろに洗礼を受けて、国粋保存主義とは随分はげしい衝突をして来たので、貧乏の中に老いたけれども、気骨はなかなか青年をしのぐ勢いである。
私はこの老夫子の感化で多少読書力も出来る。労働を卑しみ、無学を羞じて、世をはかなみ、身をかねるというような女々めめしい態度から小さいながら、弱いながらも胸の焔を吐いて、冷たい社会よのなかきつくしてやろうというような男々おおしい考えも湧いて来た。
大槻が転居するという噂は、私にとって全然まるきり他事よそごとのようには思われなかった、私はそれとなく駅長の細君に、聞いて見たが噂は全く事実であった。肌寒い春の夕がた私は停車場ステーションの柱によって千代子の悲愁を想いやった。思いなしかこのごろそのひとの顔がどうやらやつれたようにも見える。
大槻の家族が巣鴨すがもに転居してから、一週間ばかり、金曜の午後私が改札口にいると大槻芳雄が来て小形の名刺を私に渡して小声で囁いた。
「高谷さんにこれを渡してくれないか」率直に言えば私は大槻が嫌いだ、大槻が嫌いなのは私の嫉妬ではないと思う。けれども私が今これを拒むのは何となく嫉妬のように見えてそれは卑怯だという声が心の底で私を責める、私は黙ってうなずいた。
「ありがとう!」といかにも嬉しそうに言うたが、「君だからこんなことを頼むのよ、いいねきっと渡してくれ給え!」と念を押すようにして、ニッコリ笑うた、何という美しい青年であろう、心憎いというのはこういう姿であろう。
どうしたものかその日千代子の学校の帰りはおそかった。どこでどうして私はこれを千代子に渡そうかと思ったが、胸は何となく安からぬ思いに悩んだ、長い春の日も暮れて火ともしごろ、なまめかしい廂髪ひさしがみに美人草のかざしをさした千代子の姿がプラットホームに現われた。私は千代子の背後うしろについて階壇を昇ったが、ほかに客はほとんどない。
「高谷さん!」私はあたりをはばかりながら呼びかけた。思いなしか千代子は小走りに急ぐ、「高谷さん!」と呼ぶと、こんどは中壇に立ち止って私の方を向いたが、怪訝けげんな顔をして口もとを手巾ハンケチでおおいながら、鮮やかな眉根をちょいとひそめている。
「何ですか大槻さんがこれをあなたに上げて下さいって……」と私は名刺を差し出した。
「ああそう」と虫の呼気いきのように応えたが、サモきまりが悪そうに受け取って、淡暗うすぐら洋燈ランプの光ですかして見たが、「どうもありがとう」と迷惑そうに会釈する。私はこの千代子の冷胆な態度に、ちょうど、長い夢から醒めた人のようにしばらくはぼんやりとして立ち尽した。
辛い人の世の生存ながらえに敗れたものは、はとのような処女の、繊弱かよわい足の下にさえも蹂み躙られなければならないのか。
翌日、千代子は化粧よそおいを 凝らして停車場に来た。その夕、大槻は千代子を送ってプラットホームに降りたが、上野行きの終列車で帰った。土曜、日曜の夕、その後私は幾たびも大槻が千 代子を送って目黒に来るのを見た。二人がひそひそと語らいながら、私の顔を見ては何事か笑い興ずるような時など、私は胸をえぐってなぶり殺しにされるような思いがした。
佳人と才子との恋はその後幾ほどもなく消え失せて大槻の姿は再び目黒の階壇に見られなくなった。例えば曠野に吐き出した列車の煤煙のように、さしも烈しかった世間の噂もいつとはなしに消えて、高谷千代子の姿はいま暮春の花と見るばかり独り、南郊の岡に咲きほこっている。

白柳秀湖「駅夫日記」その17

夢二の絵は、雑誌「新少女」さし絵。
小説は、恋について・・・。

夢二37

その十七
その年も暮れて私は十九歳の春を迎えた。
停車場ステーションではこのごろ鉄の火鉢に火を山のようにおこして、硝子がらす窓 を閉めきった狭い部屋の中で、駅長の影さえ見えなければ椅子を集めて高谷千代子と大槻芳雄の恋物語をする、駅長と大槻とは知己なので駅長のいる時はさすが に一同遠慮しているけれども、助役の当番の時なんぞは、ほとんど終日その噂で持ちきるようなありさまである。おれはかしこの森で二人の姿を見たというもの があれば、おれはここの野道で二人が手を取って歩いているのを見たという者がある。それから話の花が咲いて、あることないこと、果ては聴くに忍びないよう なみだりがましい噂に落ちて、ドッと笑う。
最もこれは停車場ばかりの噂ではなかった、長峰の下宿の女房かみさんも、権之助坂の団子屋の老婆ばあさんも、私は至るところで千代子の恋の噂を耳にした、千代子は絶世の美人というのではないけれども、大理石のようにこまやかなはだ愛嬌あいきょうしたたるような口もと、小鹿が母を慕うような優しい瞳は少くとも万人の眼をいて随分評判の高かっただけに世間の嫉妬ねたみもまた恐ろしい。
嫉妬! 私は世間の嫉妬の恐ろしさを今初めて知った。あわれなる乙女は切なる初恋の盃に口つけする間もなく、身はいつの間にかこの恐ろしい毒焔のうずまきに包まれて、身動きも出来ない?謗せんぼうの糸は幾重にもそのいたいけな手足を縛めていたのである。「どうして大槻という奴は有名な男地獄で、もう横浜にいた時分から婆芸妓ばばあげいしゃなんかに可愛がられたことがあって大変な玉なんだ」と誰やらがこんなことをいうた。
「女だってそうよ、虫も殺さないような顔はしていても、根が越後女だからな」私はこんな?誣そしりの声を聞くたびに言うに言われぬ辛い思いをした。私の同情は無論純粋の清い美しい同情ではなかった。二人の運命を想いやる時には、いつでも羞かしい我の影がつきまとうて、他人ひと幸福さいわいのろうようなあさましい根性もきざすのであった。
実際千代子の大槻に対する恋は優しい、はげしい、またいじらしい初恋のまじりなき真情まことであった。万事に甘い乳母を相手の生活くらしは千代子に自由の時を与えたので、二人夕ぐれの逍遙そぞろあるきなど、深き悲痛かなしみを包んだ私にとってはこの上なく恨めしいことであった。
貧しき者は、忘れても人を恋するものでない。
恋――というもおこがましいが、私にとっては切なる恋、その恋のやぶれから、言いしれぬ深い悲哀がある上に、私は思いがけない同輩なかま憎悪にくしみを負わなければならない身となった。それは去年の秋の工学士の事件から私は足立駅長に少からぬ信用を得て、時々夜など社宅に呼ばれることがある、ほかの同輩はそれを非常に嫌に思うている。
私は性来の無口、それに人との交際つきあいが下手で一たび隔った心は、いつ調和おりあいがつくということもなく日にうとましくなって行く、磯助役を始め同輩の者はこのごろろくろく口を聞くこともまれである。私はこんなに同輩から疎まれるとともに親しい一人の友が出来た、それはかの飄浪さすらいの少年であった。
このごろの寒空に吹きさらされてさすがに堪えかねるのであろう。日あたりのいい停車場の廊下に来て、うずくまっては例の子守女にからかわれている、雪の降る日、氷雪みぞれの日、少年は人力車夫の待合に行って焚火たきびにあたることを許される。
少年は三日におかず来る、私は暇さえあればこの小さい飄浪者を相手にいろいろの話をして、辛くあたる同輩の刃のような口を避けた。私はいつか千代子と行き会ったかの橋の欄干おばしまって、冬枯れの曠野ひろのにションボリと孤独ひとりみ寂寥さみしさを心ゆくまでに味わうことも幾たびかであった。