白柳秀湖「駅夫日記」その7

夢二の絵は、「ねむの木」口絵

夢二27

その七
次の日の朝、私は改札口で思わず千代子と顔を合わせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の思いの浮んだことを見た、私は千代子のような美人が、なぜ私のような見すぼらしい駅夫風情ふぜいに、あんな意味こころのありそうな眼つきをするのだろうと思うとともに今朝もまた千代子を限りなく美しい人と思うた。
今日は岡田が休んだので私は改札もしなければならないのだ。
客は皆階壇を下りた、私は新宿行きという札をかけ変えて、一二等の待合室を見廻りに行った。見ると待合のベンチの上に油絵の風景を描き出した絵葉書が二枚置き忘れてある。
急いで取り上げて見たが、私はそれが千代子の忘れたものであることをすぐに気づいた。改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶように階壇を飛び降りたが、その刹那せつな、新宿行きの列車は今高く汽笛を鳴らした。
「高谷さん!! 高谷さん!!」と私は呼んでいつもの三等室の前へ駆けつけて絵はがきを差し出したけれども、どうしたものか今日に限って高谷は後背うしろの室にいない。
プラットホームに立っていた助役の磯というのが、私の手から奪うように葉書を取って、すでに徐行を始めた列車を追うて、一二等室の前を駆け抜けたが、
「高谷さん! お忘れもの!」と呼んで絵はがきを差し出した。
掌中の玉を奪われたようにぼんやりとして佇んでいると、千代子は車窓から半身を出して、サモ意外というたようにそれを受け取って一旦顔を引いたが、窓からこちらを見て、はるかに助役に会釈した。
平常ふだんから快からず思う磯助役の今日の仕打ちは何事であろう、あまり客に親切でもないくせに、美しい人と言えばあの通りだ。そのくせ自分はもう妻子もある身ではないか。
運転手は今馬力をかけたものと見えて、汽鑵車はちょうど巨人のあえぐように、大きな音を立てて泥炭でいたんの煙を吐きながら渋谷の方へ進んで行く、高谷の乗っているクラスがちょうど遠方シグナルのあたりまで行ったころ、思い出したように、鳥打帽子が窓から首を出してこちらを見た。
それは大槻芳雄であった。
ああ千代子は大槻と同じ室に乗るために常例いつもの室をやめたのではあるまいか、千代子はフトすると大槻と恋に陥ったのかも知れない、千代子は大槻を恋しているに違いない。私はこう思って見たが、心の隅ではまさかそうでもあるまいと言う声がした。
俯向うつむいて私は私の掌を見た。労働に疲れ雨にうたれて渋を塗ったような見苦しい私の掌には、ランプの油煙と、機械油とが染み込んでいかにも見苦しい、こんなきたない手で私は高谷さんの絵葉書を持ったのか。
洗ったら少しは綺麗になるだろう。
かのかけいの水のほとりには、もう野菊と紫苑しおんとが咲きみだれて、穂に出た尾花の下には蟋蟀こおろぎの歌が手にとるようである。私はかがんで柄杓ひしゃくの水を汲み出して、せめてもの思いやりに私の穢い手を洗った。
「おい藤岡! あんまりめかしちゃあいけないよ、高谷さんに思いつかれようたッて無理だぜ」
助役は別に深い意味で言うたわけでもなかったろうけれど、私にとっては非常に恐ろしい打撃であった。ほとんど脳天から水を浴びせられたように愕然ぎょっとして見上げると磯は、皮肉な冷笑を浮べながら立っていた。
「お千代さんがよろしくって言ったぜ、どうも御親切にありがとうッて……」
「だって私は自分の……」
とまでは言うたが、あとはくちびる強張こわばって、例えば夢の中でもだえ苦しむ人のように、私はただ助役の顔をジッと見つめた。
「君! 腹を立てたのか、馬鹿な奴だ、そんなことで上役に怒って見たところで何になる」
私は怒ったわけじゃなかッたけれども、助役の語があまりはげしく私の胸にこたえたので、それがただの冗談とは思われなかったからである。
私は初めから助役を快よく思うていなかったのが、このこと以来、もう打ち消すことの出来ない心の隔てを覚えるようになったのである。

銀座から横浜日本フィル定期演奏会

4月19日(土)

今日は、東京海上時代の友達と銀座へランチに出掛けました。
銀座三越で、先日の筍のお礼・たねやで本生水羊羹を送り、スペイン料理の店「びいどろ」に行く。
銀座 023-1      銀座 024      銀座 026
現在FP(ファイナンシャル・プランナー)として活躍している人などからいろいろ悩みを聞いて、じゃあショッピングしましょうよと言うことになって、
シャンハイ・タンに行ってあれこれ見て回った。
お茶を飲んでそのまま横浜へ、
午後6時から日本フィル横浜定期@みなとみらいホールです。


インキネン          モンラー3
   ピエターリ・インキネン               ホアン・モンラ
        曲目
     
シベリウス/交響詩「エン・サガ」
   サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番
         ~休憩~
   チャイコフスキー/交響曲第4番
   指揮/ピエターリ・インキネン
   ヴァイオリン/ホアン・モンラ
   コンサートマスター/江口有香    
ピエターリ・インキネンもホアン・モンラも有名じゃないので、空席が目立ちます。
主人とは直接席で落ち合い、シベリウスの「エン・サガ」が始まって、えっ、この曲知らない!
何?何? と言う感じでした。後程
「エン・サガ」は、スエーデン語で「ある伝説」と言う意味だと判明。

指揮者のピエターリ・インキネンはフィンランド生まれ、弱冠27歳です。うちの息子と同じくらい。
素晴らしい指揮ぶりです。
サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲のホアン・モンラ君もインキネンと同じくらいの年です。
1980年中国・上海生まれ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝した史上3人目のアジア人。
今日は 上海(シャンハイ)デイなのかな?
どうしよう!!インキネン君の落ち着いた指揮で、モンラ君サン=サーンス弾き切りました。
そしてアンコールは、パガニーニのネル・コル・ピウによる変奏曲。正しい曲名は、「パイジェルロの〝水車屋の娘〟の
〝わが心うつろになりて〟による変奏曲」で、とっても難しい曲です。両指のピチカートが続きます。
チャイコフスキーの第4交響曲もインキネン君の見事な指揮と、日フィルの熱演で、最高のものになりました。
インキネン君アンコールは、日本語で紹介してくれました。
・・・アンコールハ、シベリウスノ ヴァルストリスティスヲ エンソウシマス・・・
シベリウスの「悲しき円舞曲」です。素敵です!
インキネン君は、14歳から指揮台に立っており、ヴァイオリニストとしても有名で、現在ニュージーランド響の音楽監督を務めている。
信じられないですよね? 14歳から指揮者として指揮台に立って、27歳で音楽監督ですから。
彼らは二人共演奏はすごいのですが、 春の風のようにさわやかな雰囲気もあります。 291420
終演後は、桜木町駅前のビルの中の「月の雫」で、いつものメンバーで軽い夕食をし、インキネン君とモンラ君の話で持ちきりでした。
食後のデザートには、K嬢のケーキにクッキーも。
今日は、京都あたりにでも行ったような心地良い旅疲れの気分です。

白柳秀湖「駅夫日記」その6

夢二の絵は、「ねむの木」口絵。
小説は、千代子の生い立ち、大鳥神社。

夢二25

その六
岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡って突き当りに小学校がある、その学校の裏ということである。それを尋ねて見ようというのではないけれども、私はいつとはなしに大鳥神社の側を折れて、高谷千代子の家の垣根かきねに沿うて足を運んだ。
はるかに火薬庫の煙筒は高く三田村の岡をいて黄昏たそがれの空に現われているけれども、黒蛇のような煤煙はもうやんでしまった。目黒川の対岸むこう、一面の稲田には、白いもやが低く迷うて夕日が岡はさながら墨絵を見るようである。
私がさる人の世話で目黒の停車場ステーションに働くことになってからまだ半年には足らぬほどである。初めて出勤してその日から私は千代子のあでやかな姿を見た。千代子はほかに五六人の連れと同伴いっしょに定期乗車券を利用して、高田村の「窮行きゅうこう女学院」に通っているので、私は朝夕、プラットホームに立って彼女を送りまた迎えた。私は彼女の姿を見るにつけて朝ごとに新しい美しさを覚えた。
世には美しい人もあればあるもの、いずくの処女おとめであるだろうと、私は深く心に思うて見たがさすがに同職なかまに聴いて見るのも気羞かしいのでそのままふかく胸に秘めて、毎朝さまざまの空想をめぐらしていた。
ある日のこと、フトした機会はずみから出札の河合が、千代子の身の上についてややくわしい話を自慢らしく話しているのを聞いた。彼は定期乗車券のことで毎月彼女と親しくことばを交すので、長い間には自然いろいろなことを聞き込んでいるのであった。
千代子は今茲ことし十七歳、横浜で有名な貿易商正木なにがしの妾腹に出来たものだそうで、そのめかけというのは昔新橋で嬌名の高かった玉子とかいう芸妓げいしゃで、千代子が生まれた時に世間では、あれは正木の子ではない訥弁とつしょうという役者の子だといううわさが高く一時は口の悪い新聞にまでもうたわれたほどであったが、正木は二つ返事でその子を引き取った。千代子はその母の姓を名乗っているのである。
千代子の通うている「窮行女学院」の校長の望月貞子というのは宮内省では飛ぶ鳥も落すような勢力、才色兼備の女官として、また華族女学校の学監として、白雲遠き境までもその名を知らぬ者はないほどの女である。けれども冷めたい西風は幾重の墻壁しょうへきを越して、階前の梧葉ごようにも凋落ちょうらくの秋を告げる。貞子の豪奢ごうしゃな生活にも浮世の黒い影は付きまとうて人知れず泣く涙は栄華の袖にかわく間もないという噂である。この貞子が世間に秘密ないしょで正木某から少からぬ金を借りた、その縁故で正木は千代子が成長するに連れて「窮行女学院」に入学させて、貞子にその教育を頼んだ。高谷千代子は「窮行女学院」のお客様にあたるのだ。
いやしい女の腹に出来たとはいうものの、生まれ落ちるとそのままいまの乳母の手に育てられて淋しい郊外に人となったので、天性うまれつき器用な千代子はどこまでも上品で、学校の成績もよく画も音楽も人並み優れて上手という、乳母の自慢を人のいい駅長なんかは時々聞かされるということであった。
私は始めて彼女のはかない運命を知った。自分ら親子の寂しい生活と想いくらべて、やや冷めたい秋の夕を、思わず高谷の家の門のほとりに佇んだ。洒然さっぱりとした門の戸は固くとざされて、竹垣の根には優しい露草の花が咲いている。

筍が届いた!

4月16日(水)
例年通り、主人の友達からこんな筍が三本届きました。
うれしい!
筍 020
今回は糠(ぬか)まで付けてくれました。糠は、ゆでる時一緒に入れると柔らかくなるんですね。
そして1時間くらいゆでて、
筍ご飯          わかめと若竹煮     たらの芽、蕗のとう、えび、筍のてんぷら
筍 035-1    筍 026-1    筍 032-1
筍ごはんは、5合くらいもち米を混ぜるとさらにおいしくなります。
てんぷらの筍は、生のまま切りたてに衣を付けて揚げるとさくさくと美味しい。
筍尽くしの夕食でした。

白柳秀湖「駅夫日記」その5

夢二の絵は、雑誌「新少女」の口絵。
小説は、「権之助坂」の由来。虎杖(いたどり)、藤袴(ふじばかま)。

夢二24

その五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇やすみの日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖いたどりの花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的あてもなく物思いながらたどるのである。
私は権之助という侠客おとこだての物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒ビールを飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒界隈かいわいはもと芝増上寺ぞうじょうじの寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升をかすめて町奉行まちぶぎょうに告訴した、権之助のために増上寺の不法はめられたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引きまわしにされた上、この岡の上でいたましい処刑しおきにおうたということ。
ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。
私は空想の翼をせて、色の浅黒い眼の大きい、骨格のたくましい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代ときよが違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。
羞かしいではないか、私のような欝性うつしょうがまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。
いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけ れども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その 水車の響がまた無声にまさる寂しさをいざなうのであった。
人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後うしろをふりかえると、高谷千代子とその乳母うばというのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。
私は俯伏うつぶして水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私のかたを消してしもうた。
波紋のみだれたように、私の思いはき乱された。
あのひとはいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑あざわらったのではあるまいか、私のむさくるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。
波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌かおつきをもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴ふじばかまの花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。

沼尻竜典 日本フィル第321回名曲コンサート

4月13日(日)
久し振り(2週間ぶり)で演奏会に行った。


沼尻2


   
ワーグナー楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
                 ショパン/ピアノ協奏曲第1番
                      ~休憩~
                 ブラームス/交響曲第1番
                    指揮/沼尻竜典
                    独奏/辻井伸行
                  コンサートマスター/木野雅之
新鮮な気持でワグナーのマイスタージンガーを聴く。この曲が大学の式典曲だったので、入学式にはこの曲を聴き、次からは演奏する方にまわった。
そして、ブラームス1番も演奏する方だった。フルートなので、ほかの楽器と一緒にフォルテで吹くところは、苦しかったのを覚えている。
今日の沼尻マエストロのワグナーもブラームスも久し振りの演奏会なので、いつもの定期の雰囲気とは違って聴こえてしまった。
そして、辻井君のピアノも彼のペースに巻き込まれて、思わず「素敵!」と言ってしまった。
アンコールは、ハンガリー舞曲第1番、この曲だけは指揮棒なしでした。
それにしてもフルートの難波薫さん美人ですよね!
フィリアホールで、沼尻さんとフルートリサイタルがあります。
な~んだか懐かしくて気持ちのいい演奏会でした。

白柳秀湖「駅夫日記」その4

夢二の絵は、「椿姫」の楽譜の表紙。
小説の方は、バイオリンを持った女性が登場。

夢二24

その四
品川行きのシグナルを処理して私は小走りに階壇を下りた。黄昏たそがれの暗さに大槻の浴衣ゆかたを着た後姿は小憎らしいほどあざやかに、細身のつえでプラットホームの木壇もくだんたたいている。
私は何だか大槻に馬鹿にされたような気がして、言いようのない不快の感が胸をいて堪えがたいのでかけいの水を柄杓ひしゃくから一口グイと飲み干した。
筧の水というものはこの崖から絞れて落つる玉のような清水を集めて、小さい素焼きのかめに受けたので綰物まげものの柄杓が浮べてある。あたりはすすきが生いて、月見草が自然に咲いている。これは今の駅長の足立熊太という人の趣向で、こんなことの端にも人の心がけはよく表われるもの、この駅長はよほど上品な風流心に富んだ、こういう職業にうもれて行くにはあたら惜しいような男である。長く務めているので、長峰界隈かいわいでは評判の人望家ということ、道楽は謡曲で、暇さえあれば社宅の黒板塀くろいたべいからうたいの声が漏れている。
やがて汽車が着いた。私は駅名喚呼をしなければならぬ、「目黒目黒」と二声ばかりドアーを開けながら呼んで見たが、どうも羞かしいような気がして咽喉がつまった。列車は前後あとさきが三等室で、中央まんなかが一二等室、見ると後の三等室から、髪をマガレットにつかねた夕闇に雪をあざむくような乙女の半身が現われた。今玉のようなかいなをさし伸べて戸のラッチをはずそうとしている。
高谷たかや千代子!」私は思わず心に叫んだが胸は何となく安からぬ波に騒いだ。
大槻はツカツカと前へ進んだと思うと高谷の室の戸をグッと開けてやる。縫上げのたっぷりとした中形の浴衣ゆかたに帯を小さく結んで、幅広のリボンを二段に束ねた千代子の小柄な姿がプラットホームに現われたが、ちょっと大槻に会釈えしゃくしてそのまま階段の方に歩む。手には元禄模様の華美はでな袋にバイオリンを入れて、水色絹に琥珀こはくの柄の付いた小形の洋傘こうもりげている。
大槻はすぐ室に入ったが、今度はまた車窓から半身を出して、自分で戸の鍵をかった。千代子はほかの客に押されて私の立っている横手をそでの触れるほどにして行く、私はいたく身をじてちょっと体躯からだを横にしたがその途端に千代子は星のようなひとみをちょっと私の方にうつした。
汽車はこの時もう動いていた、大槻の乗っている三等室がプラットホームを歩いている千代子の前を横ぎる時、千代子はその美しい顔をそむけて横を見た。
「マア大槻というやつは何といういけ好かない男だろう」私はこう思いながら、ぼんやりとしてたたずむと、千代子の大理石のように白い素顔、露のこぼれるような瞳、口もとに言いようのない一種の愛嬌あいきょうをたたえて大槻に会釈した時のあでやかさ、その心象まぼろしがありありと眼に映って私は恐ろしい底ひしられぬ嫉妬ねたみの谷に陥った。
「藤岡! 閉塞を忘れちゃあ困るよ、何をぼんやりとしているかね」
駅長のおだやかな声が聞えた。私があわてて振り向くと駅長はニッコリ笑っていた、私はもしやこの人に私のあさましい心の底を見抜かれたのではあるまいかと思うと、もうたまらなくなってコソコソと階壇を駆け上って、シグナルを上げた。
権之助坂ごんのすけざかのあたり、夕暮の煙が低くこめて、もしやと思ったその人の姿は影も見えない。

白柳秀湖「駅夫日記」その3

竹久夢二は「宵待草」の作詞もしていたのです。作曲は、多 忠亮(おおの ただすけ)。
小説は、主人公が美青年にからかわれます。 そして4には、いよいよ美しい女性が登場します。

夢二21

その三
「君! 僕一つ君に面白いことを尋ねて見ようか」
「え……」
軌道レールなしに走る汽車があるだろうか」
「そんな汽車が出来たのですか」
「日本にあるのさ」
「どこに」
「東京から青森まで行く間にちょうど、一里十六町ばかり、軌道レールなしで走るところがあるね」と言い切ったが香のいい巻煙草の煙をフッと吹いた。
私は何だか自分がひどく馬鹿にされたような気がしてむっとした。陰欝な、沈みがちな私はまた時として非常に物に激しやすい、卒直な天性うまれつきを具えている。
「冗談でしょう、僕はまた真面目まじめにお話ししていましたよ」私は成人おとならしい少年こどもだ、母と叔父の家に寄寓してから、それはもう随分気がね、苦労の数をつくした。母は人にかくれてまだうら若い私の耳にいたましい浮世話を聞かせたので、私は小さき胸にはりさけるような悲哀かなしみを押しかくして、ひそかに薄命な母をいたんだ、私は今茲ことし十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だろうという。
「君怒ったのか、よし、君がそんなことで怒るくらいならば僕も君に怒るぞ。もし青森までに軌道なしで走るところが一里十六町あったらどうするか」声はやや高かった。
「そんなことがありますか!」私は眼をみはって呼気いきをはずませた。
「いいか、君! 軌道と軌道の接続点つなぎめにおおよそ二分ばかりの間隙すきがあるだろう、この間下壇したの待合室で、あの工夫のかしらに聞いたら一まいるにあれがおよそ五十ばかりあるとね、それを青森までの哩数に当てて見給え、ちょうど一里十六町になるよ、つまり一里十六町は汽車が軌道なしで走るわけじゃあないか」
私はあまりのことに口もきけなかった、大槻が笑いながら何か言おうとした刹那せつな開塞かいさくの信号がけたたましく鳴り出した。

白柳秀湖「駅夫日記」その2

夢二は、楽譜の表紙も書いていたんですね。
小説は、美青年が登場します。山の手線も蜩も日比谷へ音楽を聴きに行くということも。

夢二20

その二
品川行きの第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余りもある。日は沈んだけれども容易に暮れようとはしない、洋燈ランプは今しがたけてしまったし、しばらく用事もないので開け放した、窓にりかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。
風はピッタリやんでしまって、陰欝いんうつしつけられるような夏雲に、夕照ゆうやけの色の胸苦しい夕ぐれであった。
出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色かばいろの夏菊の咲き繚れた、崖に近いさくそばに椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪かみを油で綺麗きれいに分けた、なかなかの洒落者しゃれものである。
山の手線はまだ単線で客車の運転はホンのわずかなので、私たちの労働しごとは外から見るほど忙しくはない。それに会社は私営と来ているので、官線の駅夫らがめるような規則攻めの苦しさは、私たちにないので、どっちかといえばマアのんきというほどであった。
私はどうした機会はずみ大槻芳雄おおつきよしおという学生のことを思い浮べて、空想はとめどもなく私の胸にあふれていた。大槻というのはこの停車場ステーションから毎朝、新宿まで定期券を利用してどこやらの美術学校に通うている二十歳はたちばかりの青年である。せいはスラリとして痩型やせぎすの色の白い、張りのいい細目の男らしい、鼻の高い、私の眼からもれとするような、ねたましいほどの美男子であった。
私は毎朝この青年の立派な姿を見るたびに、何ともいわれぬうらやましさと、また身のはずかしさとを覚えて、野鼠のねずみのように物蔭ものかげにかくれるのが常であった。永い間通っているものと見えて、駅長とは特別懇意でよく駅長室へ来ては巻煙草まきたばこくすべながら、高らかに外国語のことなどを語り合うているのを聞いた。
私の眼には立派な紳士の礼服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿よりも、この青年の背広の服を着た書生姿が言い知らず心をいて堪えられない苦痛くるしみであった。私は心から思うた、功名もいらない、富貴ふうきも用はない、けれどもただ一度この脂垢のしみた駅夫の服を脱いで学校へ通うてみたい……
ああ私の盛りはこんなことをして暮らしてしまうのか。
私は今ふと昔の小学校時代のことを想い出した。薄命な母と一しょに叔父おじうちに 世話になっていたころ、私は小学校でいつでも首席を占めて、義務教育を終るまで、その地位を人に譲らなかったこと、将来はきっと偉い者になるだろうという て人知れず可愛がってくれた校長先生のこと、世話になっている叔父の息子の成績が悪いので、苦労性の母が、叔父の細君に非常に遠慮をしたことなど、それか らそれへと思いめぐらして、追懐おもいではいつしか昔の悲しい、いたましい母子おやこの生活の上にうつったのである。
ぼんやりしていた私は室の入口のところに立つ人影に驚かされた、見上げるとそれは白地の浴衣ゆかたに、黒い唐縮緬とうちりめん兵児帯へこおびを締めた、大槻であった。
「君! 汽車は今日も遅れるだろうね」
「ええ十五分ぐらい……は」と私は答えた。山の手線はまだ世間一般によく知られていないので、客車はほとんど附属つけたりのような観があった、列車の遅刻はほとんど日常いつものこととなっていた。
日はもういつしか暮れてひぐらしの声もいつの間にか消えてしまった。
大槻はちょっと舌を鳴らしたが、改札の机から椅子を引き寄せて、鷹揚おうように腰を下した、出札の河合は上衣のそでを通しながら入って来たが、横眼で悪々にくにくしそうに大槻をにらまえながら、奥へ行ってしまった。
「今からどちらへいらっしゃるのですか」私は何と思ってか大槻に問うた。
「日比谷まで……今夜、音楽があるんだ」と言い放ったが、白い華奢きゃしゃな足を動かしてを追うている。

上野の桜

4月6日(日)
満開の上野の桜を見に行きました。
お天気もよく、不忍池あたりは、家族連れでいっぱい。     
夢二 008
 少し、満開を過ぎたかな。
夢二 012
アップで
夢二 004
ウコン桜は、これからです。
夢二 006
近くの夢二美術館へ
夢二 013-1        夢二 011-1
弥生美術館と併設されて中もつながっている    夢二カフェ、「港や」
夢二 014-1        夢二 015-1
根津神社のつつじはまだまだ                うさぎやのドラ焼きと最中 皮がふわっとして美味しい。
夢二 019    うさぎや 001
                   汗ばむような春の一日でした。

267  267  267
           弥生美術館
〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-3
Tel 03(3812)0012
        竹久夢二美術館
〒113-0032
東京都文京区弥生2-4-2
Tel 03(5689)0462


白柳秀湖「駅夫日記」その1

このあたりの馬込文士村の文士の一人、白柳秀湖の「駅夫日記」を少し紹介しましょう。竹久夢二の挿絵をよく使っていたのでそれも少し、文中の草花とか季節の自然描写が豊かだし、当時の目黒、大崎あたりが出てきたりでとっても面白いですね。1~25まで通すと読み終わりです。

 名称未設定 2

その一
私は十八歳、他人ひとは一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂うなだれてじっと考えながら、多摩川たまがわ砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢あぶらあかに見る影もなくよごれたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈ランターンをかけに行ってそのもどりである。
目黒の停車場ステーションは、行人坂ぎょうにんざかに近い夕日ゆうひおかを横に断ち切って、大崎村に出るまで狭い長い掘割になっている。見上げるような両側のがけからは、すすき野萩のはぎが列車の窓をでるばかりにい茂って、あざみや、姫紫苑ひめじおんや、螢草ほたるぐさや、草藤ベッチの花が目さむるばかりに咲きみだれている。
立秋とは名ばかりくようにはげしい八月末の日は今崖の上の黒い白樫めがしの森に落ちて、むぐらの葉ごしにもれて来る光が青白く、うすぎたない私の制服の上に、小さい紋波もんぱを描くのである。
涼しい、生き返るような風が一としきり長峰の方から吹きおろして、汗ばんだ顔を撫でるかと思うと、どこからともなくひぐらしの声が金鈴の雨をくように聞えて来る。
私はなぜこんなにあのひとのことを思うのだろう、私はあの女にれているのであろうか、いやいやもう決して微塵みじんもそんなことのありようわけはない、私の見る影もないこの姿、私はこんなに自分で自分の身をじているではないか。
☆ 白柳秀湖(しらやなぎ しゅうこ)1884(明治17)~1950(昭和25)
◇小説家・文芸・社会評論家・歴史家。本名は武司(タケシ)、別号
は哲羊生・曙の里人。静岡県生れ。1899(明治32)春、上京し家
僕となり郁文館中学校に通い、1903(明治36)早稲田大学予科に
入学。幸徳秋水らの影響で社会主義に近づく。1904(明治37)加
藤時次郎の直行団に加入、「直言」を編集。1905(明治38)平民社
に参加、山口孤剣・中里介山・宮田暢らと文学研究会「火鞭会」
を創立。1907(明治40)早稲田大学哲学科卒業。

3度目の INCANTO 広尾

3月29日(火)
音楽仲間と一緒にまた出掛けました。
いろんな雑誌にこのレストランの記事が載ってとても忙しくなったと・・・。
9 食前酒は手前がいちごのカクテルで、奥がきんかんのカクテル。 
 
             いちごの甘~いかおりが遠くまでする。
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                         9 突き出しは、ひよこ豆とペコリーヌチーズのスープ仕立て
                                  あじの柑橘マリネ
9 前菜は、白アスパラとグリーンアスパラのグリルと温泉卵
ビーツ入り生ソーセージ、トリフソースかけ。
インカント 008       インカント 006-1
                                       9ロ-ズマリー入り岩塩付きパンなどいろいろなパン
9 パスタは、金目鯛、アサリ、ムール貝のカサレッチェ(S字型のパスタ)
インカント 011        インカント 009-1
                                      9 白ワインはトスカーナのアリオーソ
9 メインは、岩中豚のビールからしケッパー風味
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                         9 赤ワインは、150年前特許を取ったものの復刻版
コンプリーノ ミローザ コクがあります。
9 デザートは、エスプレッソのセミフレッド(アイスクリーム)
チョコレートスープ仕立て
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                                          9 コーヒーに小菓子も付きます。
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                        ガラス張りのワインセラー
夕方6:30~10:00ごろまで、延々と音楽の話からいろいろ広がって、尽きることがありません。
そうそう今日は、テレビ局が取材に来ていて、いつか放送されると言っていました。
それではまた。